2015年11月  課題:「灯」


山小屋の灯

 たそがれの灯は/ほのかに点りて/懐かしき山小舎は/ふもとの小径よ/
 思い出の窓に寄り/君をしのべば/風は過ぎし日の/歌をばささやくよ

「山小屋の灯」、米山正夫作詞作曲、昭和22年のNHKのラジオ歌謡曲。近江俊郎の澄んだ声に乗った爽やかなセンチメンタリズムが快い。同時期の「あざみの歌」、「桜貝の歌」少し後には「雪の降る町を」など、終戦直後のラジオ歌謡にはいい歌が多い。戦時下にあって、抑圧されていたリリシズムへの欲求が、戦後一気に開放された感じだ。少年時代に耳にし、口ずさんだこれらの曲は今でも好きだ。

 天井から吊されたランプ、木枠の窓にもたれ愛しい人への思いを馳せ、白樺の林の向こうに暮れゆくあかね色の穗高や白馬―若いころ私が山登りに熱中した背景には、「山小屋の灯」で歌われたロマンチックな情景への憧れがあった。

 私が初めて山小屋に泊まったのは、大学1年生の1957年の夏、八ヶ岳の夏沢峠小屋である。新宿発の夜行で、小淵沢乗り換え、小海線の松原湖駅へ。そこから八ヶ岳の稜線を目指した。メンバーは3人とも本格的な登山は初めて。私はバスケットシューズを履いて登った。白樺などの樹林帯をひたすら登った。時々雨が降る天候であったが、異常なほどの汗をかいた。八ヶ岳を南北に分ける夏沢峠に着いたのは3時過ぎ。計画では、ここから南へ稜線を伝い、硫黄岳まで行く予定だった。しかし、峠の小屋で一休みしたら、もう歩く気が失せて、結局夏沢峠小屋に泊まることにした。

 汗で濡れた衣類を取り替えると、急に寒気がして、体が震えた。その上、両足がふくらはぎから腿まで痙攣して動くことができなかった。睡眠不足が原因であろう。同行の二人が飯盒で炊いてくれた夕飯を食べ、小屋の布団に身を沈めると、どうやら寒気も痙攣も治まりよく眠れた。

 翌朝、出発という段になって、私たちの飯盒二つがないのに気がついた。小屋の人に探してもらったが、見付からなかった。どうやら他の登山者にもっていかれたようだ。山男に悪い奴はいないというのはどうやら嘘のようだった。山小屋で握り飯を作ってもらい、出発。

 一晩寝たら、私の体調もすっかり回復した。急峻な岩場も快調に登り、硫黄岳、横岳、そして2899メートルの主峰赤岳と縦走した。その日は稜線の山小屋にもう一泊して、翌日下山した。

 さんざんな山小屋初体験であった。当時の山小屋は素泊まり。着いたらすぐに夕飯の仕度をしなければならない。夕食が終わると、明日に備えて、早寝。予約制ではなく来る人は誰でも泊めた。だから、シーズンの混雑ぶりは大変なものであった。北アルプス裏銀座コースの富山側入口の太郎平小屋に泊まったときは、蚕棚は先客で満員、遅く着いた私たちは、蚕棚の間の板の通路に寝かされた。小屋から提供された2枚の毛布のうち1枚を床に敷き、1枚を4人で被って寝た。

 残念ながら、山小屋の灯のもと、窓辺でロマンチックな気分にひたったという記憶は私にはない。

  2015-11-25 up


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