2015年8月  課題:「蝉」


神田川遡行

  神田川は武蔵野市の井の頭池に源を発し中央区と台東区の堺で隅田川に注ぐ全長24.6キロの川である。河口から源流まで踏破するには格好の川だ。大都会を流れる川だから、橋がたくさん架かり、その数140余り。歩くにあたって、この橋をすべて渡り、左岸右岸とジグザグに遡上することとした。川沿いは道がよく整備されていて、ほぼこの原則を貫くことが出来た。

 両国橋のすぐ上流で、神田川は直角に隅田川に注ぐ。河口に一番近い橋は柳橋。明治以降花街として栄えた所で欄干にはかんざしが飾られている。川面には何艘もの屋形船が係留されている。両側にはびっしりとビルが並び、その中を川は真っ直ぐに西に向かう。

 秋葉原駅近くでJR線をくぐり、萬世橋をすぎ、昌平橋に至る。ここから神田川は谷間を通る。かつて神田川は飯田橋から南へ流れていたのを、江戸時代の初めに本郷台地を掘削して東に流れを変えた。それにしても深く掘削したものだ。聖橋はこの川に架かる橋としては川面から一番高く、堂々としたアーチ形は神田川のみならず、東京の橋としても一番の見栄えではないか。

 聖橋を右岸に渡り、JR御茶ノ水駅の先で、お茶の水橋を左岸に渡り水道橋に向かう。突然、蝉時雨。8月の初めで油蝉とミンミンゼミの賑やかな大合唱だ。東京の真ん中で、こんな大きな蝉時雨に歓迎されるとは意外であった。川面までの斜面には大きな木が茂っていて、そこで彼らは世代を継いでいるのだ。

 神田川は飯田橋でほぼ直角に曲がり、高速道路の真下を北へ行く。白鳥橋で左に曲がり、西に行く。江戸川橋の先からは、河岸に桜並木が続く。やがて文京区関口。川に面して芭蕉庵がある。庵は先の大戦の戦火に焼失したが芭蕉真筆の「古池」の句碑などがある。伊賀から江戸へ出てきた芭蕉は、俳諧師のかたわら、アルバイトとしてしばらく神田上水の改修工事の監督事務に携わった。

 神田川はほぼ西に向かい、高田馬場駅前の飲食街の裏を通ってJR線をくぐる。ここまで来たとき、デジカメの電池が切れた。全部の橋を写真に撮るつもりであったからこの日はここで遡行を中止。

 8月の末に残りを歩いた。高田馬場を過ぎて下落合で、川は大きく南に曲がる。やがて青梅街道に架かる淀橋を過ぎ新宿副都心の高層ビル群の西側に出る。ここからは、住宅街の中を南西に進む。川幅は狭くなり、橋と橋との間隔も短く、何回も橋を渡りながら進む。川はよく整備されていて水はよどみなく流れ、清流とまではいかないが、澄んでいる。所々低い堰が切ってあり、堰を越え高らかな瀬音を立てて水が流れている。杉並区に入ると両岸の樹木も多くなり、今回はツクツクボウシが鳴いていた。

 井の頭公園に入る。神田川最上流の橋は水門橋。私のカウントでは柳橋から数えて143番目の橋だ。欄干のない10メートルほどの石の橋。そのすぐ上流に井の頭池の水門があり、そこから神田川が流れ出す。井の頭池の一番奥には、湧水がある。徳川家康もこの水で茶をたてさせたという。今でも涌き出るお茶の水というこの湧水が、神田川の本当の源だろう。

  神田川瀬音に競ひ法師蝉         肇


補足:橋のうち中野区弥生町の氷川橋は工事中のため唯一渡れなかった。


        柳橋のかんざし飾り          お茶の水橋より聖橋を望む 



     芭蕉庵の門         宝橋(中野区本町)から下流方向新宿副都心ビル


      井の頭池の水門        お茶の水湧水 四角い升から水があふれる



2015-08-26 up


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