2005年6月 課題 「迷う・迷い」

迷路 

                              
 雑誌等に載った迷路図を解くのは好きであった。目で辿って行く。順調に進んで、出口のすぐ手前まで来てそれが袋小路であるとわかったとき、ガッカリする以上に、よくできた迷路だと感心する。迷路を実際に歩いたらちょっとした探検気分でさぞ面白いだろうと、前々から思っていた。
 20年ほど前、職場の旅行会で塩原温泉に行った帰途、鬼怒川の江戸村に寄った。そこでバスを降り、2時間ほどの自由時間となった。江戸村の近くに巨大迷路があった。私は江戸村の遊覧を早々に切り上げて、同僚達と離れて一人迷路に挑戦した。

 70メートル×50メートルの区画に作られてた迷路で、幅1メートル半ほどの通路は高さ2メートルほどの板塀で囲まれている。入場料を払って入る。入場者は余りいなかった。中に入ると板塀に遮られて、周囲はまったく見えない。分岐点に来てもどっちに行っていいか見当はつかない。迷路は平面ではなく、立体になっていて、塀の上を跨ぐ通路もある。まずそこを目指すことにして、歩き回っていると、やっとその高みに出た。そこからは全体が見渡せ、おおよそその見当をつけた。しかし、一旦下りて、板塀の中に入ると、今自分がいる場所が前に通ったところかどうかすら判然としなくなる。30分も経っているのに出られなかった。バスの出発時刻が迫ってきた。

 再度、高みに出て、全体を見渡した。出口へ真っ直ぐ続いている道を確認できた。その道への達し方はわからなかったが、その道と塀で隔てられている道は通ったことがあり、行き方もわかっていた。最後の手段をとることに決めた。仕切の板塀は腰から下ほどがあいている。それで、出口へ続く道の隣の道まで行き、そこから仕切をくぐり出口への道に立った。バスにはどうやら間に合ったが、巨大迷路を正しく抜け出たことにはならなかった。

 江戸村の他にも、当時各地に巨大迷路が作られた。横浜の港北ニュータウン開発予定地の中の迷路もその一つだった。家から近かったので、妻を誘って再度挑戦した。この迷路は江戸村の迷路よりは規模が小さかった。4隅にある櫓がチェックポイントでそこを通って出ることを求められた。迷路ブームの最盛期で、中はたくさんの人でにぎわっていた。妻とは別々に出口を目指した。

 迷路征服法に、常に左手(右手でもいい)で塀を触って進むというのがあることを、江戸村の体験後知った。今回はこの方法を試してみた。ところがこの方法だとチェックポイントを必ず通るという条件を満たすことができなかった。それで、やはりかなり時間をとってしまった。出口に来てみると、まさか遅れを取ることはないと思っていた妻がすでに出ていた。私は国内でも国外でも知らない町を歩くのが大好きで、一人でよく歩いた。迷子になったこともなく、方向感覚は人よりもいい方だと思っていた。2度の迷路挑戦で私の自信はすっかり失われてしまった。

 港北ニュータウンの迷路はブームの消失とともに姿を消したが、江戸村の迷路はまだ残っているようだ。機会があったら雪辱を果たしたい。

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