2005年5月 課題  「噴水」

バルセロナの噴水ショウ
                              
 99年の夏休み、大学時代のクラスメートとスペインに行った。マドリードから入り、トレド、セビリア、コルドバ、グラナダと回り、最後の一泊はバルセロナだった。真夏のスペインは熱暑に包まれ、マドリードの街角では、夕方の7時過ぎというのに37度の温度表板を目にした。

 バルセロナのホテルは、92年のバルセロナオリンピックの行われたモンジュイックの丘の麓、スペイン広場近くにあった。広場から、丘の上にそびえ立つカタルーニャ美術館の壮麗な建物に向かって上る広い道は、途中に大きな噴水などがあり、市民の憩いの場所となっていた。

 夕食後、数人の仲間を誘って、この丘の上まで行ってみた。
 幸運にも噴水ショウに出くわした。どこに仕掛けたか、スピーカーから流れるクラッシック音楽の曲調に合わせて、噴水があるときは高く激しく、ある時は低く穏やかに吹き上がる。とにかく規模がでかい。中心の水柱だけでなく、同心円上に幾重にも設けられたおびただしい数の噴出口から、大量の水が噴き上げられる。各噴出口からの水量を制御することにより、水柱の高さの変化だけでなく、横への広がりも刻々と変化する。しかもその噴水がレーザー光線でライトアップされてピンクや緑にきらめくのだ。壮観であった。

 家族連れで真夏の夜を楽しむ人々はあちらこちらに見られたが、このショウのために観光客や、地元の人達がたくさん集まっている様子はなかった。これだけ手の込んだ、恐らく費用もかかるショウが日常的に行われ、バルセロナの人々の生活に溶け込んだものになっている。すごいことだと思った。この噴水も含めて、モンジュイックの丘には、70年前の万博の施設がそのままたくさん残っているという。モニュメント以外に何一つ市民生活の中に取り入れられるようなものを残さなかった大阪万博と比べて、対照的である。

 私たちは一番上のカタルーニャ美術館の前から刻々と形と色を変える水の塊を見下ろした。ショウが終わると、時計は12時を指していた。Iさんが「終戦記念日だ」とつぶやいた。
 しばらくして、Iさんが今度は「探照灯だ」と言った。後ろを見上げると美術館の上の夜空を、数条の光線が下から上に貫いていた。「探照灯」という言葉も長いこと耳にしていない言葉だ。Iさんはきっと戦時中の空襲を思い出したのだろう。
 
 ここにいる仲間は皆、小学校低学年の頃に終戦記念日を迎え、空襲も記憶の中にある。Iさんの言葉にそれぞれ感じるものはあったであろう。しかし、噴水のほとりに憩う家族連れという平和そのものの光景に遠慮したかのように、54年前のあの戦争のことは話題にならなかった。噴水ショウの音楽に触発され、若い頃私たちの誰もが経験したクラッシック音楽熱のことになった。高校や大学時代にはLPレコードが高くて手に入れにくかったこと、名曲喫茶というのが各地にあって、よく聞きに行ったことなど…。

 満ち足りたスペイン最後の夜が更けていった。


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