2015年4年  課題:「鍵」

馬籠の宿

 日帰りもしくは1泊という途切れ途切れの旅程で、中山道を歩き始めて18日目は馬籠宿だった。朝、横浜の自宅を立ち、塩尻経由で南木曽駅に着いたのは昼過ぎ。前回の歩きの終点大妻籠まではバス。そこからは濃い緑の中、旧道を馬籠峠への上りとなる。峠まで1時間あまり、峠から馬籠までが1時間足らず。妻籠宿と馬籠宿の間は、中山道木曽路の中でも最も往時を留めていて、木曽路の核心に当たる。旧道もよく整備されていて、道標や説明坂も要所ごとにあるから、迷うことはない。

 馬籠宿は南に下る石畳の道の両側に、往時を偲ばせる日本家屋が軒を連ねる。宿の真ん中に旧本陣、島崎藤村の生家がある。今は藤村記念館となっている。記念館には、家系、年譜、各種原稿などが展示されている。佐藤春夫書による「初恋」の全文も展示されている。さらに奥の下がったところには蔵書などの展示物。蔵書に藤村が留学中に求めたフランス語の洋書がたくさんあった。絵がうまかったようだ。最晩年の二科展出品作品は梅の木を描いた水墨画。かなり大きな絵で、筆使いもしっかりしている。

 藤村一家や藤村の父母の墓のある永昌寺にも足を伸ばした後、今日の宿泊所、民宿馬籠茶屋へ。藤村記念館の真向かいにある2階建て日本家屋の民宿だ。2階の部屋に案内される。和室だが、引き戸には鍵がかかるという珍しい作りだ。早速階下の風呂に向かう。1階の廊下脇の畳敷きの広間では中年の外国人夫妻が何かを食べているところで、通りかかった私に「コンニチワ」と挨拶した。

 夕食は下の広間で私1人。先ほどの外国人はいない。食事は向かいの「馬籠茶屋食事処」から、若い男性が運んできた。夕食後外に出てみた。6月の6時半だが、人通りはまったくなく、店はみな閉まっていた。部屋に戻り押し入れから布団を出して敷く。敷き方が英語でイラストされていた。

 翌朝、下に下りていったら、外国人夫妻が、広間の前のキッチンで簡単な朝食を用意していた。夫妻はオーストリアから来て、後3週間は日本を旅するという。昨日は妻籠まで歩いて往復したという。今日はこれから日光まで行くとのこと。その後裏磐梯や遠野に行き、それぞれ数泊してサイクリングなどを楽しむという。「贅沢な旅行ですね」(
It's a very luxurious trip)といったら、相手も同意したが、夕食も朝食も自分たちで適当にすます旅に、「luxurious」とい形容詞がふさわしかったかどうかは疑問だ。

 私の夕食のあとは朝までそのまま残っていた。宿は向かいの食事処の男性が一人で切り盛りしていて、夕食の後片付けも手が回らなかったのだ。この男性に聞いたら、泊まり客はほとんどが外国人だという。夜の6時過ぎにはすっかり人通りが絶え、温泉も娯楽設備もないところなど、日本人は泊まらないのだ。昨日歩いた際に見かけたウオーカーの5組すべてが外国人であった。かつて和宮一行が通ったこの街道も今は歩くのはほとんどが外国人だ。妻籠から馬籠への道は、海外の雑誌に紹介されたことがあり、それで外国人に人気があるのだ。和室の客室に鍵をかけるのは、外国人客のことを考慮してのことであろう。


      馬籠宿


 

     藤村記念館




        藤村記念館内の唯一残る当時の建物 隠居所




        民宿「馬籠茶屋」




    2015-04-24 up


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