2014年10月        課題:「コスモス」

下仁田街道歩き


 
中山道の脇道に、埼玉県本庄から藤岡、下仁田を通り軽井沢の沓掛と追分の間の借宿に抜ける道がある。下仁田街道というが、碓氷峠を迂回し、また碓氷関所を避けるため、女性がよく使ったので、別名姫街道とも呼ばれる。私にとってはまったく新しい道。約75キロの街道を4回に分けて歩くことにした。

 初回は藤岡から富岡まで歩いたので2回目の今回は富岡から下仁田へ。

 富岡から一ノ宮に向け街道を西に進む。荒船山や妙義山の異様な山容が前方に現れて来る。上州一ノ宮貫前神社を過ぎて、国道254号線から別れて宮崎集落に入る。宮崎公園には国指定の重要文化財の茂木家住宅がある。1527年建設で板葺き、石置き屋根の民家としては日本最古とのこと。百円の入場料を払おうとしたが、受付の中年女性は机に置いた枕に頬を乗せ、気持ちよさそうに寝ていた。仕方なしに無断で入り、中を見て出てきたら目をさましていた。「朝早いのでつい眠ってしまいました」と女性はいった。交通の便も悪いところで見学者は1日数人だろう。この女性の人件費などとても出ない。


 
宮崎からの道には古びた道祖神が所々にあり、旧街道であったことを偲ばせる。人家の背後には畑が広がる。コンニャク畑がたくさんある。葉が独特の白みを帯びた緑色だ。下仁田のもう一つの名物、ネギの畑は思ったより少ない。人通りはなく、時々車が通る。一ノ宮から下仁田まで3時間ほどの道中、予想通り食事処はなかった。1時頃、たまたま道路脇に大きな自然石がありそこに腰を下ろして持参したコンビニのおにぎりを食べる。かたわらには白いコスモスが咲いていたが、まだ花よりも蕾の方が多い。近くには人家もあり人が見たら不審に思うだろうが、食べている間、軽自動車が1台通ったきりだった。

 下仁田への旧道の最後は、小坂坂峠という小さな峠を越える山道だ。峠を下ると下仁田の町。下仁田の町はさすがに町らしく商店街もあったが、人通りはほとんどなくひっそりとしていた。駅近くに「コンニャク手作り体験工場」という大きな立派な建物があったが、人はいなかった。体験工場横の駐車場に停めてあった車には「めざせ!世界認定!ネギとコンニャク、下仁田ジオパーク」というステッカーが貼ってあった。


 
3時過ぎ、上信電鉄下仁田発の電車で帰路につく。高崎に向かう2両編成の電車はぴかぴか光るような新しい車体。乗客は私と女性1人。これでは上信電鉄がいつまで保つかと心配になる。今回の茂木家住宅の場合もそうだ。地方の文化や伝統を守り伝えるというのは大切な仕事だが、人口が減って行く地方ではその負担は重くのしかかるだろう。そんなことを思っているうちに電車は上州富岡に着いた。ここでは富岡製糸工場見学者と思われる人々がかなり乗ってきたが、それでも座席の半分ほどしか埋まらなかった。

 前回行った時、富岡製糸工場は見学者であふれていた。世界遺産登録のおかげだ。下仁田で見たコンニャクとネギの世界認定をめざせというステッカーも富岡にあやかろうというものだろう。世界認定が何を意味するのかは分からないが、何とか町を元気づけたいという人々の思いは伝わる。



補足
 街道は下仁田の先、本宿で二手に別れ、一つは姫街道として軽井沢へ、もう一つは佐久へ通じる。佐久へ通じる道は、コスモス街道とも言われ、特に内山峠付近は数キロに渡って沿道にコスモスが群生する。教室ではこのコスモス街道を書いた作品が二つあった。


 2014-10-22 up



エッセイ目次へ