2014年09月        課題:「バカンス」

横尾のキャンプ

 私が社会に出た1960年代、高度成長期の真っ直中にあった日本でもバカンスブームが起こっていた。それに応える形で、工場などでは夏季一斉休暇制度が導入されつつあった。私の職場は研究所で、営業と関わりなかったから、工場並にこの制度が導入された。最初は2日間だったそれが、4日にまで増えた。その4日間をいつにするかは、事業所毎に任されていた。若い人たちは、4日間連続でとることを希望し、年配の人は、2日ずつ2回に分けることを希望した。毎年、組合がアンケートをとりどちらかにするか決めたが、両者は拮抗し、4日連続の年もあれば2回に分ける年もあった。相前後して週休2日制が実現したので、少なくとも土曜日から火曜日までの4日間の連続する夏季休暇であった。

 私はこの休暇を利用して、毎年職場の仲間と北アルプスや南アルプスの高山に登った。7月下旬から8月上旬は梅雨明け10日といわれ、この時期は天候が安定していて、いずれの登山も好天に恵まれた。

 1965年は上高地の横尾にテントを張り、穂高岳と蝶ヶ岳に登った。この時は、男8人、女11人という大パーティになってしまった。私の他は高山登山の未経験者ばかり。上高地という地名にひかれてのことだが、夏季一斉休暇制度があったからこんな大人数になったのだ。

 金曜の夜、職場から新宿駅へ直行。列車、電車、バスと乗り継いで翌朝上高地へ。横尾は槍沢と横尾谷が出会い梓川となるところで、バス停から歩いて3時間半ほど。梓川の河原にテントを張った。真夏とは言え、寝袋にくるまって寝ていても寒くて、朝の3時には目が覚め、火を起こして暖をとるほどだった。好天に恵まれ、メンバーの大半が日本第3の高峰奥穂高岳、3190メートルの頂きを踏むことが出来た。次の日は上高地をはさんで穗高とは向かい合う蝶ヶ岳へ登り、穗高連峰の眺めを堪能した。最終日、テントをたたんで、上高地のバス停に向かう。バス停はバスを待つ人であふれていた。事故でも渋滞でもない、乗客に比べてバスの本数が足りないのだ。結局7時間待ってようやくバスに乗れた。松本からは夜行列車になり、翌朝そのまま出勤した。

 広辞苑にはバカンス「(主に保養地などで過ごす長期の)休暇」とあり、バケーションは「やや長い休暇」とある。辞書に従えば、私の夏休みなどはとてもバカンスとはいえない。バケーションといえるかどうかも疑問だ。結婚後は山登りではなく家族旅行に出かけたが、せいぜい3泊止まりの旅行だ。本来の意味のバカンスとはついに無縁であった。ほとんどの日本人が私と同じであろう。4日間の休暇を2日ずつに分けて取りたいというほどだから、そもそも長期間の休暇などは日本人の習慣に馴染まないのだ。

 あえて私自身にバカンス体験を探すならば、定年後の自分ではないかと思う。街道を歩き、野菜を作り、将棋に興じ、書に親しみ、俳句やエッセイに頭をひねる気ままな毎日。これをバカンスと呼ぶなら、世界でも最長寿の日本人は、世界でも最も長いバカンスを楽しむことが出来るといえるかも知れない。

   2014-09-17 up



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