2014年08月        課題:「汗」

木綿と汗

 
この夏、柳田国男の著作をいくつか読んだ。柳田が俳句に造詣が深く、特に芭蕉を崇拝していると知ったからだ。その一つに岩波文庫版『木綿以前の事』があった。表題の「木綿以前の事」の他、全部で19編の著作が収載されている。柳田は日常目にするありふれたものへの疑問から出発する。それらは、団子であり、餅と臼と擂り鉢、火吹竹、酒、たばこ、稲こき器、そして木綿の着物である。これらのものがどのような歴史を持ち、人々の生活とどのようにかかわってきたかを考察する。着想の非凡さに感心する。

「木綿以前の事」は、蕉門の連句『炭俵』の中の句の引用から始まる。

    はんなりと細工に染まる紅うこん     桃隣

 木綿地の着物を詠んだ句だと、柳田は解釈する。これ以外にも『七部集』の中には木綿の風情を句にしたものが、3句あるという。そのことから、元禄時代には木綿の着物が、広く普及していたと柳田は考察する。俳諧はその時代の庶民の生活を知る最良の資料だとして、本書の他の所でもたくさんの俳諧、主として連句を引用し独自の考察が行われている。

 柳田によれば、木綿が日本で本格的に栽培され始めたのは、今から400年ほど前。それ以前、庶民は麻をまとっていた。肌触りの良さと染色の容易さが木綿の二大特徴で、それが人々を魅了した。その上麻よりも布にする作業がずっと簡単で、家庭の手織り機で織ることができた。

 木綿の着物は女たちの輪郭も変えた。肌になじみのよい木綿は麻の突っ張った外線をことごとく消し、なで肩と柳腰とを一般的なものにした。「心の動きがすぐ形に表れ、歌っても泣いても人はより一段と美しくなった。つまり木綿の採用によって生活の味わいが知らず知らずの間に濃やかになって来た」と、木綿が与えた影響を述べる。

 一方で柳田は、木綿の問題点も指摘する。それは木綿が肌に密着し、汗を吸収し、肌を常に湿潤状態にすること。麻の布は、糸が太くて突っ張っていて、人体の表面との間に、小さな三角形の空間がたくさん出来る。そのため、汗の蒸発が早く、麻を着ていた時代には扇で汗を蒸発させる必要などなかった。その頃の人は風邪などひかなかった。それに比べて今どきの人が風邪をひきやすいのは木綿着用による肌の湿りが、肌を弱くしたからではないかと柳田は言う。

 細かい観察とユニークで興味深い推論だが、飛躍しすぎていると思う。柳田が本書を書いたのは大正から戦前の昭和にかけてのこと。当時の医学知識では、こうした考えは一般的であったのだろうか。私自身、人一倍汗かきで、夏は綿の肌着がびっしょりだが、風邪とは無縁だ。

 定年退職後、私の普段着は夏は大きめのTシャツにショートパンツ、それ以外の季節はジーパンで過ごす。冬でもズボン下ははかない。気がついて見るといずれもコットンが直接肌に触れている。あの優しい肌触りが知らず知らずのうちに気に入っていたのだ。

     Tシャツをざつくりと着てスーパーへ    肇
 
    2014−08−28 up


エッセイ目次へ