2014年04月        課題:「マスク」

子猫とライオン

 「あれは子猫ちゃん、あっちはライオン」と現地の男性ガイドのズイさんは言う。ハノイの町中を疾走するバイクの大群。後部座席で前の男性にしがみついている女性は子猫、離れて乗っているのがライオン。ベトナムの女性は恋人の時は子猫のように可愛いいが、いったん結婚してしまうとライオンのように強くかつ怖くなるとズイさんは言う。子猫かライオンかはバイクの乗り方で分かると。

 2006年4月、ホーチミン(1泊)ーアンコールワット(2泊)ーハノイ(2泊)のツアーに参加した。

 短いベトナムの旅でまず驚いたのは、バイクの群れ。ホーチミンのホテルで朝食後、ホテルの前の道路を横断して散策しようと思ったが、信号がなく途切れることのないバイクの流れについにあきらめてしまった。

 ホーチミンの旧南ベトナム大統領府の庭に、ここに一番乗りした北ベトナム軍の戦車が記念として展示してあった。これ以外にはベトナム戦争を跡を思わせるものには出会わなかった。

 ハノイを案内してくれたのはズイさん。ズイさんの父はミグ19のパイロットとして、米軍と戦い、撃墜されて負傷したという。ズイさんはハノイ外語大学の卒で、30才。ベトナム戦争をまったく知らない世代だ。2年間の兵役がきつく、つらかったとか、三権分立は建前で、実際は共産党中央委員会が権力を握っているとか、体制批判めいた言葉がズイさんの口から出て驚いた。

 ハノイから北へ200キロほど、ハロン湾クルーズに1日をあてた。ハロン湾内には無数の切り立った島があり、その景観から海の桂林と呼ばれている。行き帰りのバスの車窓には、豊かな水田が続いた。4月とはいえ稲はもう2,30センチあり、鮮やかな緑が遠くまで続く。足踏み水車で用水を田圃にくみ上げる少女。暮れなずむ田の畔を牛を追って家路に向かう少年。かつての日本の農村風景を見ているような懐かしさを感じた。一方では小さな町で、熟帰りの中学生の自転車の群れも目にした。塾が大流行とのこと。

 最後の日、ハノイの旧市街を散策した。午後5時過ぎ、職場帰りと思われるバイクの群れが道にあふれる。歩道はあっても、駐輪バイクで占拠状態。散策といっても、バイクを避けて、店先を一列になって歩いた。そのバイクの流れの真ん中を、前後に野菜や果物を入れたざるを天秤棒で担ぎ、おばさんが2人、悠然と歩いている。一種のカオス状態だ。「こんな危ないところへ連れてきて」と、添乗員を非難した人もいたが、私はこうした雑然さこそ人間くさくて好きだ。

 そのおばさんの一人は菅笠を被り、目から下をすっぽりと三角の布で覆っている。三角形の両端は、菅笠の内側に留めてある。目から下を覆うこの三角のマスクをつけ、さっそうとバイクをバイクを飛ばす女性も時々目にした。マスクは塵埃防止よりも日焼け防止だと、ズイさんはいう。日焼けしていないことは、ベトナムでは生活水準が高いと見なされるからだとのこと。

 ズイさんは半年後に結婚した。結婚後一度メールをした。返事のメールには奥さんことを「怖いです」とあった。子猫がライオンになったようだ。

    2014−04−18 up


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