2014年02月        課題:「新人」

新人の効用


 70歳を過ぎてから、初めて句会というものに入った。それまで俳句への関心はあったが、作ったことはなかった。まったくの素人がいきなり句歴10年以上、長い人では半世紀近くなる人々のグループに入ってしまった。私が勤めた会社のOBからなるこの「アフィニス句会」は、どこの結社にも属さず、純粋な同好会である。メンバーは10人ほどで、その他遠隔地から郵送投句する人が5人ほど。ほぼ全員が句会発足以来のメンバーで、私はあるいは10年ぶりの新人だったかも知れない。新入りの私が一番若いというすごいグループだ。

 初回は、自作は持っていかず、句会とはいかなるものかを見学した。それでも選句は求められたので、自分の良いと思った句を読み上げた。私の選んだ句の中に、いくつかその日の高得点句があったので、何とかやって行けそうだと思った。メンバー推薦の歳時記を教えてもらい初回を終えた。

 次回から投句した。季語を必ず入れることだけを心懸け、細かい俳句の取り決めなどは句会で勉強するつもりで、色々な題材を五七五に仕立て上げた。当然ながら、句会では毎回厳しいコメントばかりだった。「笑う」は「笑ふ」でなければいけない、三句切れだ、意味不明だ、詩がない・・・。 

 言い方は容赦ないが、一つ一つのコメントが勉強になった。

 しばらくして気がついたのだが、私の加入がこの会を活性化したようだ。まず、新人に自分たちの知識を伝授するという喜びを先輩達に与えた。私の超初心者的質問に答える先輩達の表情は嬉しそうだった。さらに、私の句の問題点を題材にして、各人がそれぞれの俳句論をここぞとばかり展開し、議論が盛り上がること。何しろ題材に事欠かない句ばかり出していた。例えば

人の業虚しきを知る三月尽

 は平成11年4月の例会に出した句。福島原発のことを詠んだ句だが誰の選にもならなかった。

「三月尽」などと、下五に字余りを持ってきたら、それだけではねられる、「弥生尽」とすべきだ、とメンバーの一人。私は弥生は旧暦で今の3月ではないので「三月尽」としたと説明。別の一人がここは「三月尽」であるべきだ、原子をいじくるなどという神を恐れぬ業が如何に無力かを知った3月で、「弥生尽」では弱すぎると私の肩を持つ。リーダーの志村さんが、下五は5字で決めるべきであるが、考え方は色々ある、と引き取った。

 句材も新しいものを持ち込んだようだ。例えば

イトカワの砂のかけらや星月夜

 入会して3回目の句会に出した句で、小惑星イトカワからハヤブサが砂のかけらを持ち帰った時に詠んだ。この句には2点入った。身辺雑事を詠む句が多い中で、こういう句は新鮮だと選者の一人はコメント。

 1人5句投句、1人10句選で、私の句が3点以上を取ったのは、入会10ヶ月後であった。東海道歩きの時、浜松の先で得られた一句。

街道に豚舎の匂ひ青葉風


教室で
 講師の下重暁子さんは故小沢昭一や永六輔、黒柳徹子らのグループで句会をやっている。最近女優の横山道代が加わり、句会が賑やかになった、新人の加入は確かに刺激になると言った。
 下重さんから毎年年賀状の代わりに寒中見舞いをいただく。寒中見舞いといっても挨拶文はなく、その代わり自句が一句載せてある。毎年「うーん」と思わずうなるような佳句である。

 下重さんは、私の最後の句はいいと言った。最初の句は「弥生尽」では弱い、「三月尽」がいい。悪い句ではないとのこと。星月夜の句は良い句ではないという。小惑星イトカワと星月夜がつきすぎだという。言われてみるとその通りで私も同意した。私の句は、季語がつきすぎだと言われることがある。

    2014−02−19 up


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