2013年10月 課題:「家族」 4世代家族 父の実家は、豊橋市の南部、渥美半島の台地に十数代続く農家である。私より一回り上の従兄弟は既になくなっていて、現在はその息子が後を継いでいる。従兄弟の連れ合い、多美子さんは長年の農作業ですっかり腰が曲がってしまったが、今も元気である。孫夫妻が戻ってきて、ひ孫もできたと多美子さんから聞いたのは数年前だ。長男が家を継ぎ、早婚の風習がまだ残る田舎だから、世代の継承が早い。多美子さんのひ孫といえば、私の祖父母から数えて6世代目だ。祖父母の面影がそのひ孫にあるか、会ってみたいと思った。 2年前の秋、東海道歩きで豊橋を通ったとき、父の実家に寄った。 以下多美子さんの話。 多美子さんの畑作業がきつくなったので、家を出て勤めていた孫息子を呼び寄せ、今は息子と孫息子で農業を営んでいる。孫息子に対しては、月給制を採っている。それもかなりの高額だ。昨年はブロッコリーの売り上げ分は全部孫息子のボーナスとした。100万円を越える額になった。今年はキャベツの値が高いから良いが、暴落するときもある。そうした場合に備えて、保険を積んであり、一定価格以下になった場合は補償が出る。市場で高く引き取ってもらうために、いつ種を蒔いたらいいかなど、農家も色々勉強しなければならない。 隣接の別棟に孫一家は住んでいる。孫息子は現在27才で小学校と幼稚園に通う1女2男の父親だ。多美子さんは息子夫妻と、未婚の孫娘と母屋に一緒に住む。大人6人がそれぞれ車を持つから6台の車がある。 畑には色々な生育ステージのキャベツとブロッコリーが育っていた。孫息子は、広いキャベツ畑で草取りをしていた。1畝に100株ほど、畝の数はざっと見て100。全部で1万株のキャベツだ。こんな畑を何枚も持っている。農薬で取りきれない雑草は手で取るしかないが、こういう作業は腰が痛くなると言う。「よく農家の跡を継ぐ気になったね」と言ったら、「もともと好きだから」との返事。孫息子の鼻筋から目の辺りに、私の伯父の面影を感じた。 やがて、待っていたひ孫たちが学校から帰ってきた。多美子さんはひ孫たちの面倒をよく見ているのだろう。ひ孫たちもよくなついている。上の女の子が2年生、下が1年生の男の子。女の子には父の実家の血筋が感じられた。どこと具体的にはいえないが、全体の雰囲気がそう感じさせる。しかし、男の子にはそうした雰囲気がまったくなかった。丸顔で色白で、なんとも言えず可愛い。記憶におぼろげに残る私の祖父の面影をこの子の上に探したが、見つからなかった。男の子は幼い頃は母親似だというから、成人したら父親に似てくるのかも知れない。ともあれ、私も長生きしたことで、6代の家系を目にし、記憶に留めるという思っても見なかったことが実現した。 従兄弟の時代には一時酪農農家だった。酪農だと毎日搾乳などに手が抜けず家族旅行もできないといって、息子は畑作農業に戻したという。そうした息子の家族思いが、4世代家族の固い絆のバックボーンとなっている。 私は父の実家を誇らしく思い、この地でいつまでも続くことを願った。 2013−10−20 up |
エッセイ目次へ |