2013年7月    課題:「怪我」 

怪我の教訓


                              
 ノーアウトランナー一塁二塁。バッターの打ったのはピッチャーゴロ。三塁に突進した二塁ランナーの私は、ベース手前で右足をいっぱいに伸ばし、左膝は曲げたまま滑り込みを試みた。左足が地面を打った瞬間、がくっと音がした。やったと思ったが、それ程痛まなかったので試合終了までベンチで応援したが、試合が終わったときには痛みが激しく、もう歩けなかった。今から50年近く前の11月末の寒い日、職場の部対抗野球試合でのことだ。

 病院に行き応急手当をしてもらった。土曜日の午後だったので、詳しい診断は出来ず、その日は帰宅した。左膝が大きく腫れてきた。月曜日に再度病院に行った。骨には異常はなかったが、左膝靱帯損傷と診断された。左膝に太い注射針が差し込まれ、大量の赤い液が抜き取られ、そのまま入院となった。

 腫れがひくまで、5日間は安静にしていて、その後やっとギプス固定が行われた。付け根から足首の上まですっぽりと綿を巻き、その上にネットを掛け、さらに湿った石膏を含んだ包帯を幾重にも巻いた。ギプスが乾くまでには1日かかった。

 ギプスが乾くと退院して、職場に戻った。左膝は曲げられないが、歩くのはそれ程困難ではなかった。松葉杖を使ったかどうかは覚えていない。友人の結婚式にも出席し、12月の恒例行事である職場のダンスパーティーでも踊った。一番不便だったのはトイレだったが、幸い当時まったく珍しかった洋式の便器を使うことが出来た。前年、皇太子殿下が、私達の職場を見学に来られた際、便器が一つだけ洋式に作り替えられたのだ。それが、私のオフィスと同じフロアにあって大いにたすかった。

 3週間でギプスが取れた。久しぶりに見る左足は一目で右に比べて細くなっているのがわかった。4週間使わず伸びたままになっていた膝を、完全に折ることが出来るようになるまでにはさらに2ヶ月間の理学療法が必要だった。毎日通院し、マッサージで筋肉をほぐし、強制的に少しずつ膝を曲げて行くリハビリを受けた。

 怪我でいくつかのことを学んだ。医師からは、素人は頭から滑り込んだ方が安全だといわれた。しかし、その後この教訓を活かすチャンスは来なかった。

 1週間、何もすることなくベッドに寝ているだけだったから、見舞客が唯一の楽しみで、こんなにうれしいものとは知らなかった。私もこまめに見舞いをするようになった。ただ、あれが命に関わる重病であったら、見舞いを喜ばなかったであろう。苦しむ姿、あるいは衰えた姿は見せたくない。私も重病人の場合はよほど親しい人以外は見舞いを遠慮している。

 最大の教訓は、人の体は使わなければ退化するということ。1ヶ月使わなかった膝が、元に戻るのに2ヶ月かかった。脳のような高度な組織だったら、もっと回復に時間がかかるかも知れないと思うと、ぞっとした。

 毎月のエッセイや俳句作りに頭を絞り、麻雀や将棋の勝ち負けに一喜一憂し、街道を歩き、菜園での野菜作りに精出す今の私にはこの教訓が強く生きている。

      2013-07-18  up


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