2012年12月    課題:時差

ビジネスマンの勲章


                                          
 時差の英語は time difference。普段の会話ではこの言葉よりも jet lag の方を耳にする。辞書には「ジェット機疲れ(ジェット機旅行の時差による疲労・神経過敏など)」と載っている。ジェット機の出現により、時差ぼけという現象が現れたことを示す言葉だ。

 成田空港を夜発ち、アンカレッジで給油し、ヨーロッパの空港に早朝着く。長い一日の始まりで、午後は襲い来る眠気と戦いながら何とか過ごし、ホテルへ。ベッドに入る頃は日本時間では夜が明ける頃となる。夜中に眼がさめる。時計を見ると夜中の3時、日本時間では朝の10時だ。無理に眼を閉じ、朝まで浅い眠りに身をまかす。次の日の夜も、夜中に眼がさめる。ようやく慣れた頃には帰国。

 1980年代、ヨーロッパに出張しだした頃の体験だ。ところが、いつの間にか時差に悩まされることがなくなった。出張を重ねるうちに慣れてきたことも一因だろう。その他にもいくつか原因が考えられる。その一つは、西回り直行ルートの開設。これにはジェット機の性能の向上と、ゴルバチョフによる旧ソ連の上空の開放が貢献している。ヨーロッパまで12時間ほどで着く。しかも、このルートで昼間の成田発だとその日の夕方ヨーロッパに着く。そのままホテルに行き、寝ればいいから楽だ。アンカレッジ経由の東回りはいつも夜遅くの成田発で、ヨーロッパ早朝着であった。86年の出張を最後に、以後ヨーロッパ行きはすべて西回り直行便に乗っている。

 定年退職後も、何回か観光旅行でヨーロッパを訪れた。この時はもう時差のことなどまったく気にならなかった。ほとんどが一人で出かけた出張と違い、観光は添乗員付きのツアー。空港からホテルまでのバスや鉄道の乗り場を見つけ、切符を求めるといった、神経を使うこともない。夜の食事をどこで取り、食後をどう過ごそうかなどと思い悩むこともない。それに、妻と一緒であることも心強い。こうしてみると、時差の悩みには、一人旅の心細さも大きく関与していたのだろう。

 確かに団体ツアー旅行は楽だ。だが、何か物足りないといつも思う。単身での出張のような緊張感が乏しい。仲間どうしで話し合ってばかりいて、現地の人と接する機会が少ない。一人の場合、ホテル、レストラン、仕事の合間に訪れる観光スポットで、いやでも現地の人と話さなければならない。そのことを通じて、少しではあってもその土地を肌で感じることができる。

 アンカレッジ経由で、パリやフランクフルトなど拠点空港に早朝着く。長時間飛行の疲労と、睡眠不足でありながら、日本時間にすれば真昼間に当たる時間で、眠いような眠くないようなボーッとした頭で、空港のトランジット待合室の椅子に一人身を沈め、目的の都市へのフライトを待つ。40台後半の私にとってそれは嫌いな時間ではなかった。自分もやっと海外に活躍するビジネスマンの一人になったと強く実感できる時間であった。

 当時の私には、jet lag はビジネスマンの勲章のように思えた。

   2012-12-26 up


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