2002年2月  課題  「優しさ」
 
優しいおじ                                    

 英語に「avunclar」という単語がある。uncle(おじ)の形容詞に相当する言葉で、リーダーズ英和辞典には「おじの」と、もう一つ「おじのように優しい」という訳語が載っている。おじというのは洋の東西を問わず優しいようだ。
 
  私には父方に2人、母方に1人、あわせて3人のおじがいた。子供の頃はちょっとしたことでしかられ、口やかましく、厳しいおじたちだと感じたこともあるが、大人になる頃からは、遠くから温かく成長を見守ってくれ、何かにつけて気遣ってくれる、優しいおじたちだと思うようになった。

 私は小学校4年生まで、豊橋の田舎にある母方のおじの家に疎開していたこともあり、3人のなかでもこのおじとは特に親しくした。上京した後も、私は学校の夏休みにはおじの家に遊びに行き、時には10日以上滞在したこともある。結婚後も子供連れで遊びに行った。テーブルに乗り切れないほどのご馳走を並べて待っていてくれたり、帰りにはバスで30分以上もかかる豊橋の駅まで送ってきてくれ、名物のちくわを買って持たせてくれたりした。私の子供たちも可愛がってくれた。おじにとっては私が唯一の甥であり、また、おじの姉に当たる私の母は40才そこそこで亡くなっていたこともあり、家族以外には私と私の妹が唯一の肉親という気持ちがあったのだろう。

 おじは2年前に亡くなった。病状が思わしくないと知った家族が、誰か会いたい人はいるかと聞くと、一番に私の名前を挙げたという。私も豊橋の病院に何回もおじを見舞った。最後に会ったときはもう意識がはっきりしなかった。手を握って「肇ですよ」と呼びかけると、「うん、うん」とうめくように言ったきりだった。

 おじが亡くなったとき、私は九州へ出張中だった。その日の朝、私は夢を見た。どこか大きなホールに大勢の人が集まっていた。演劇か講演が始まるところだった。人々に向かっておじが挨拶した。私はびっくりしたが、私の身内がこうして大勢の人を前に挨拶することを大変誇らしく思った。それで、あれは私のおじだと口に出し、皆に知らせようと思ったが我慢した。おじは病気で入院中のはずなのにどうしてここいるのかと思った。

 私の夢に現れてから2時間ほどでおじは逝った。

 おじの優しさはどこからくるのだろう。甥や姪は自分の子供と違って、毎日顔を合わせるわけでもなければ、まして養育の責任などない。だから、甥や姪には距離を置き、心に余裕を持って接せられる。その余裕が優しさとなる。祖父母が孫をかわいがり、優しいのと似ている。一方、甥や姪の方から見みれば、おじは父や母と違って、反抗や対立の対象とはならない。祖父母と違っておじは若い。だからつき合う期間も長く、しかも大人同士の関係でつき合うことができる。そして、父や母の兄弟でありながら、性格も生き方も少しずつ違うおじは、身近な人生の先輩として親しみを覚える。

 付かず離れずという人間関係の最良の位置にいるのがおじ・おいの関係なのだろう。

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