2002年3月  課題  「怒り」
 
田村充夫先生
                                                    
「熊野!もう一度言って見ろ!」と叫ぶなり、田村先生はつかつかと教壇を降り、熊野の席までやってきた。そして、熊野の胸ぐらをつかむと、椅子から引き離すように彼を立たせた。

「なんだ貴様!その言い方は!」といって先生は、顔と顔がぶつからんばかりに熊野に迫った。顔面は蒼白で、両目は吊り上がり、口元はわなわな震え、髪の毛が立っていた。熊野は学生服のカラーの下あたりをつかまれ、長身の先生に引きつけられたから、まるで空中に浮いた棒のように突っ立っていた。先生の形相は生まれて初めて見る大人の憤怒の形相で、私は息をのんだ。あまりのすごさに先生が熊野に噛みついてしまうのではないかとさえ思った。いつビンタが飛ぶかとハラハラしていたが、先生はその状態で熊野を睨みつけたままだった。しばらくして、熊野を放し、教壇に戻ると言った。

「俺がお前を怒るのはお前のためを思ってなんかじゃない。お前が憎らしかったからだ。教師だって人間だ。怒るときには怒る」

 田村充夫先生は中学の時の国語の先生。大学を出たばかりの若い先生だった。「『しかし』や『だが』をよく使う人は、物事を多面的に見られる、見識の豊かな人だ」といった、人生に対する鋭い洞察などをまじえた授業は、ユニークで人気があった。日本語文法について話をしているとき、先生は他の生徒に「冠詞という品詞は日本語にあるか」と聞いた。その生徒が答えられないでいると、「あると言っておけよ」と投げやりな口調で熊野が横から言った。先生はこの言葉に激怒したのだ。熊野は普段から生意気な口の利き方をする生徒だった。

 他の先生方もよく生徒を怒ったが、ほとんどが「君のためを思って怒っているのだよ」と言い訳がましく付け加えた。その言い方に偽善のにおいを感じていた私は、「教師だって人間だ、怒るときには怒る」と田村先生が言い切ったとき、世の中の偽善がすべて切り捨てられたような気がして、心中快哉を叫んだ。また、ストレートに怒りをぶつけることは、教師と生徒という立場を離れ、熊野を対等の人間として扱ったことに他ならなかった。先生に対する親しみの感情は一層深まった。

 田村先生は私の担任ではなかったので、卒業後、クラス会に招くこともなく、お会いすることはなかった。だが、クラス会では「田村先生に会いたいな」と皆が先生の授業を懐かしがった。むき出しで生徒と向きあったからだろう。初めて行った同期会で田村先生にお会いできたのは卒業40年後のことだった。それ以後、途絶えていた年賀状の交換を再開し、数年前には私のエッセイ教室の作品をまとめて送った。先生からはすぐに暖かいコメントを頂き、大いに励みとなっている。

 3年前に先生は古稀を迎えられた。先日、自ら注釈をつけた先生の漢詩集が送られてきた。驚いたことに作品はここ1,2年に作られたものだった。

 その旺盛な創作意欲に私も見習おうと思う。

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