2002年5月  課題  「痛み」
 
アスピリン
                                                       
 アスピリンのお世話になったのは、最近では3年前の秋だ。

 昼食を終えた後、身体全体の筋肉が硬くなる感じで、手足の筋肉と関節、それにお腹全体がかすかに痛みだした。そして下痢をした。疲労から来る消化不良と関節の痛み、そして発熱だ。久しぶりの症状だ。直接の原因は前夜麻雀で1時過ぎに帰宅し、家族が寝静まった食卓でチーズと佃煮を肴にビールを飲み、よせばいいのに妻が仙台から買ってきた土産の黄粉餅を3個も食べてしまったことだ。だが遠因は、夏休みのスペイン旅行、10月の香港への1週間の出張、そして、九州への3回の出張と続いた夏以来の疲労の蓄積にある。

 明日は1日寝ていなければならないが、幸い土曜日だ。私はこうした症状には若い頃から時々なるが、決まって週末で、会社を休むことがなかった。それはサラリーマン生活の最後になっても変わらないと、半ば自嘲気味に思いつつ家路につく。

 たいしたことではないと思い、チーズを肴にビールを飲み、いつもと変わらぬ夕食をとって、アスピリンを1錠飲んで9時前には早々と寝た。身体全体が冷たく、特に手足の先が冷えている感じだった。それでいて身体の内部には熱がこもっている感じ。このこもった熱が全身に行き渡り、汗と共に発散しなければ腹痛も、関節や筋肉の痛みも治らないことは今までの経験からわかっている。アスピリンはそのための特効薬なのだ。しばらすると、身体全体が暖まってきて、眠りについた。何回もうとうとする浅い眠りだった。それでもうっすらと身体が汗ばむのを感じ、アスピリンが効いてきたと自覚できた。

 朝目覚めたが、お腹が腸の蠕動に合わせて痛む。右の脇腹から押し上げてきて左腹へと回っていく痛さに身体の置き場がないほどだ。数日間、意識もほとんどなく苦しんで逝った父の最後もこんな風に身の置き場がなかったのだろうか。そんなことを思うほど、今回は重症だった。しかし、医者に行くのも面倒だし、アスピリンの力を信じることにした。

 11時頃起き出し、アスピリン1錠と正露丸3錠を飲む。薬を飲んで30分もすると、腹痛や、足腰の関節の痛みが嘘のように消えた。そして、うっすらと発汗してきて、また眠りに落ちた。さすがに夕食はリンゴと紅茶だけにした。翌日曜日には朝から1日外出するほどまでに回復していた。

 アスピリンはベンゼンにありふれた官能基が2つついただけの、簡単な構造の化合物で、高校の化学実験でも楽に作ることができる。それでいながら、解熱、鎮痛剤としては極めて優れた効果を有する。さらに、アスピリンには虚血性心疾患を予防する作用もあると報告されているので、10年ほど前から時々、朝にアスピリンを1錠飲んでいる。特に体調の変化する出張先では毎朝飲む。

 かなり酸っぱい錠剤だが、口に含むと壊れて溶ける。歴史の古い医薬であり、特段の副作用もない。何よりもその構造のシンプルな美しさに惹かれる。

 私の体質はアスピリンに合っているようで、風邪、頭痛、腹痛、関節痛、下痢など、大概の症状はアスピリンで治る。私にとっての万能薬、守護神である。

エッセイ目次へ