2002年9月  課題  「老い」
 
三島由紀夫―老いと死                               

「そういう考えもありますね、三島由紀夫も老残を晒したくなかったから、あのような最期を遂げたのです」と、中年の女性保険外交員は言った。老後のために満期受け取り型の生命保険に入れというしつこい勧誘を断るのに、私が「老醜を晒すまで長生きしたくないし、出来そうもないからそんな保険には入らない」と言った後だった。30代後半のことだ。

 私は三島の衝撃的な死に対しては政治的な側面しか見ていなくて、当時の佐藤首相と同様「狂気の沙汰」として片づけていた。この婦人の一言であの死に対して別の、三島個人に関わるもっと深いものがありそうなことを知って、三島に少し親近感を感じた。もちろん、彼女の言は彼女自身が考えついたものではなく、世の中ですでに語られていたことだろう。
 
 ここ数年、三島の作品をかなり読んだ。天才としかいいようがない。人間性に対する鋭い洞察、文体の格調の高さ、絢爛たる比喩と綿密な風景描写、波乱に富んでいながらしっかりとしたストーリー展開と緻密な構成。すっかり傾倒している。
 
 読んでいて感じることは例えば『仮面の告白』といった最初期の自伝的作品からすでに、あの衝撃的な死を予感させるものがあること。24才の時のこの作品には、早世の予感、自己劇化、「他人の中での晴れ晴れとした死」への願望、といったことが述べられている。

 谷崎潤一郎を論じた評論には、老いへ恐怖がストレートに述べられている。谷崎にあっては、老いはそれほど悲劇的な事態ではなく、むしろ性の三昧境への接近の道程であったとし、谷崎の長寿は芸術的必然性のあった長寿であると三島は言う。それに反して「老いが同時に作家的主題の減衰を意味する作家はいたましい。肉体的な老いが、彼の思想と感性のすべてに逆らうような作家はいたましい。(私は自分のことを考えるとゾッとする)。」と述べている。

「しぶとく生き永らえるものは、私にとって、俗悪さの象徴をなしていた。私は夭折に憧れていたが、なお生きており、この上生きつづけなければならなぬことも予感していた」と、林房雄論で三島は若い頃を振り返っている。

『豊饒の海』第四部『天人五衰』の最後の方で三島は、この長編物語の見守り手で、80才になった本多にいわせている:生きることは老いることであり、老いることこそ生きることだった、と思い当たった。

「生きることは老いること」とは45才の三島の心境だろう。彼は『天人五衰』の原稿を渡した同じ日に、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自らの命を絶った。こうしてみると、三島は自らが「俗悪さの象徴」となることを拒否するために、その政治信条を手段として用い、自らの命を絶ったと言ってよさそうだ。

 私はといえば、予期に反して三島よりずっと生きながらえてしまった。記憶力の衰え等、老いを感じる。だが、サラリーマンを卒業し、社会的な活動から身を引いて、自己充足のためにのみ生きる日々は、老いの醜さという負担が少し軽くなったと勝手に思っている。

エッセイ目次へ