2003年6月   課題  「流行」

中高年登山

 ゴールデンウイークにエッセイ教室の仲間と、足柄の矢倉岳にハイキングに行った。驚いたことに、JR横浜線も、小田急線も、同じようにナップサックを担いでいるのは、ほとんどが同年輩の人だった。小田急新松田駅に下りたハイカーの群れもおじさん、おばさんが主流であった。私たちのパーティも私たち夫婦は高年、あとの3人の女性は中年もしくは中年に入ろうかという構成だ。

 足柄峠までバスで行く。ここから南へ行けば箱根でも最も人気の高い金時山で常時大勢のハイカーでにぎわう。私たちは北の矢倉岳を目指す。途中、草ボケやスミレの花を楽しみつつ、山頂へ。晴れていれば富士山の眺望が素晴らしい山頂であるが、あいにくの曇り空であった。正面に金時山、大湧谷、駒ヶ岳を望みながら、草原に腰を下ろし弁当を開く。しばらくすると、私たちとは逆側のコースから、2,30人のグループが登ってきた。見るとこれまた中高年集団だ。彼らもどっかと山頂の草原に座り込み、弁当を開いた。私たちが下山を始めようと立ち上がった頃、集団の中からおじさんが一人立ち上がり、指揮をとりながら大きな声で「うさぎ追いしかの山…」と歌い出した。私たちの世代には懐かしい歌だ。集団の一部がそれに和して、歌声が大きく響いた。

 中高年登山が花盛りだ。私の周辺にも、もっとずっと本格的な山に登る人が何人かいる。その一人、高校時代のクラスメートで、若い頃は一緒に妙高や、尾瀬に行ったこともある松本さんは、ひまさえあれば山に登っていて、自らを「老人性アルクハイカー病」と名乗るほどだ。標高差1300メートルを1日で上り下りした同年輩の女性の知人もいる。

 なぜ中高年登山ブームなのか。自然に親しみたい、日頃の運動不足を補いたい、そして、まだ山歩きが出来るということで、自分の肉体的な健全さを確認したい、というのが私が山歩きする理由だが、大方の中高年も同じであろう。山登りも便利になった。その一つは道路の発達により歩く距離が短くなったことだろう。例えば前々回のエッセイで触れた奥秩父の大弛峠から国師岳、甲武信岳への縦走でも、現在では大弛峠までは車で入れる。私が登った時は、新宿を夜行で発って信濃川上側から1日がかりで大弛峠まで登ったものだ。今なら朝東京を車で発てば、歩くことなく午後には大弛峠に着ける。他の山でもアプローチがぐっと短縮され、中高年でも比較的楽に行けるようになったのだろう。また、山小屋や登山道の整備も進んだのだろう。3000メートル級の稜線の小屋でも、寝具付き、あるいは食事も付いているのではないだろうか。

 昨年の山行回数が20回を越えた松本さんは、花の写真を撮るのが山歩きの主な目的とのこと。中高年登山者はもういたずらなピークハントはしない。

 若い頃は、自ら苦行を求めるかのように、重いリュックを担ぎ、汗水垂らしわき目も振らず高みを目指した。それは、物質的豊かさを目指し皆がひたすら働いたかつての日本の姿にダブる。そのようにして登った山々を眺めながら、あるいは足下の草花を愛でつつ、低い山をのんびりと歩く今の自分もまた、経済的には成熟から衰退へと向かいつつあるように見える今の日本とダブる。



     足柄峠側から見た矢倉岳

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