2003年7月    課題 「湿る」

カーポベルデ共和国サル島  

 
真夜中、飛行機を降りると、いきなりなま暖かく蒸すような湿った空気が全身を包んだ。20年前の5月、南アのヨハネスブルグからロンドンに向かう南アフリカ航空のフライトが、途中給油のために大西洋の熱帯の島に降りた時のことだ。島の名前はポルトガル語で「ILHA DO SAL(イラ・ド・サル)」。

 私は行ったころはすべて地図の上で確認することにしている。ヨハネスブルグからロンドンへのフライトが途中給油することは前もっては知らなかったので、帰国後ILHA DO SALの確認を行った。ポルトガル語だからポルトガル領だろうと思い、地図を調べた。しかし、大西洋上にマデイラ諸島とアゾレス諸島という二つのポルトガル領は見つけられたが、「イラドサル島」というのは見つけられなかった。今までの自分の足跡の中で、もっとも希少価値のあるこの大西洋上の島の位置だけが確認することが出来ずに残った。

 3年前にポルトガルを訪れた際、「ILHA DO SAL」というのは、英語で言えば「ISLAND of SAL」つまり「サル島」という意味だと突然ひらめいた。前回は「イラドサル島」で調べたからわからなかったのだ。 そこで「Atlas of The World」というタイムズ社の英文の分厚い地図帳を当たった。巻末の索引に「SAL」というのを見つけ、それから辿って、セネガルの西、北緯16度、西経24度辺りにある十数個の島の中に「SAL」島をつきとめることが出来た。タイムズの地図帳では、この群島は西アフリカのページの左下に囲みで表示されていた。ついで新らしく購入した日本製の世界地図帳を調べた。これには北部アフリカのページの左上にやはり囲みで表示してあった。日本語ではサル島である。この群島は囲みでなければ、地図帳に載せにくい位置にあり、注意しないと見落としてしまう。それも最初の時に見つけられなかった一因だろう。

 群島全体は「カーポベルデ」と表示されていた。調べてみたら、カーポベルデ共和国という独立国であった。人口40万人。ポルトガルからの独立は1975年で、独立前は「ベルデ岬諸島」と言われていた。念のため、古い地図帳に当たってみた。北アフリカのページの左下に小さな囲みでベルデ岬諸島(ポ)として記載されていて、その中の小さな島に「サル島」と表示してあった。

 20年前は、ロンドンで飛行機を乗り継ぎ、アラスカのアンカレッジ経由で成田に帰った。その後、ペレストロイカで旧ソ連の上空が開放され、以来、成田―ロンドンはシベリア上空を通るノンストップ便に取って代わられた。当時南アは人種隔離政策をとっていて、アフリカ諸国は同国の飛行機の領空通過を認めなかったので、私のフライトは回り道の大西洋上を飛んだ。人種隔離政策を廃止した南アの飛行機も、今ではアフリカ大陸上空を飛ぶことが出来、ヨハネスブルグ―ロンドンもノンストップ便かもしれない。

 フライトはガラガラで、日本人は私一人であった。サル島の空港のロビーで過ごした1時間余りの記憶は何も残っていない。ただ、初めて体験する高温多湿の熱帯の真夜中の空気が、不快と言うより、どこか官能をそそる艶めかしいものだったという感覚だけが今も残っている。

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