2003年9月  課題 「森」

キサブロウ山   
                             
 私は10才の昭和23年まで両親の田舎、渥美半島の遠州灘に面した村で過ごした。渥美半島は東西に伸びたかまぼこ型の地形をしていて、台地の上で人々は畑を耕し、米を作っていた。私がいた母の実家から真南に300メートルほど行くと台地は海に向かって急傾斜で落ちていく。降りきると花崗岩の風化してできた細かい砂の海岸となる。幅50メートル以上におよび、西の伊良湖岬まで数十キロも続く白砂青松の海岸で、私は今もってこれ以上美しい砂浜を見たことがない。海岸に面した斜面から内陸へかけては、クロマツ、椿、椎、樫、マテバシイなどの常緑樹が密生し、冬でも黒く日の光を照り返している。

 母の家の近くから、東南の方向に谷が落ちていて、そこも深い森になっていた。キサブロウ山と呼ばれ、一年中暗く、湿ったこの森一帯は父の実家の所有だった。秋から冬にかけてはキサブロウ山が私の楽園であった。

 高い松の木の天辺までしがみつくようにして登っていって採ったアケビ。明るい鮮やかな紫色の殻が真ん中でぽっかりと開き、白い内皮の上にのった、透明で、中の小さな黒い種が透けて見えるアケビの実は、羽二重餅のような優しい口当たりだった。広く枝葉を茂らせた木に登って揺さぶりると、音を立てて落ち葉の上に降り注いだ椎の実。大きな鍋で炒ると、黒褐色の殻が割れ、香ばしく、甘い白い実が現れた。

 冬になるとキサブロウ山に渡り鳥がやってきた。コブチという仕掛けでツグミなどの渡り鳥を狙った。1メートル余りの細い木の棒を地面に立て、その先端に凧糸をつけて地面の方に十分に撓ませる。凧糸には仕掛けがしてある。撓んだ棒の先端の真下の地面に籾などの餌を置き、その周りを笹などで囲う。やってきた鳥は、囲みに1箇所だけ空けてある所から餌をついばもうと首を入る。すると撓んだ棒を留めていた仕掛けが外れ、棒がピンと跳ね上がる。そして糸の先端についていた横棒で鳥は首をはさまれてしまう仕組みだ。

 すべて手製のこのコブチを持って近所の遊び仲間とキサブロウ山に入り、野鳥の糞が落ちていたりする場所を探しては仕掛けた。かかったのは1度だけだった。いつものように見回りに行ってみると、コブチの周りに白い羽毛がたくさん散らばっていた。しかし獲物の姿はなかった。町からやってきたハンターが先に見つけて持っていったのではないかと仲間で話し合った。散らばった羽毛のおびただしさに、首を挟まれた獲物の、断末魔のもがきの凄さを想像した。

 森の入口から東南に進んで行けば海岸に出るはずである。しかし、私たちはそんなことは考えもしなかった。海ははるか果て、森はどこまでも続いているように感じていた。大人でもこの森を突っ切って海岸まで行った人はいない。

 先日、田舎の法事に行った際、キサブロウ山のかつての入口の所に立ってみた。木々は伐採され、谷は埋め立てられ整地され、キャベツ畑に変わろうとしていた。そして、その先間近に太平洋の水平線がのぞいていた。今見ると300メートル四方ほどの空間であるが、当時の私には、キサブロウ山は自然の恵みに満ちあふれた、限界を極められない小さな宇宙のようなものであった。
 
補足
 コブチは私の田舎だけのものかと思っていたが、井伏鱒二の『黒い雨』にも出てくる。広島地方では「コブツ」と言ったが、「首打ち」と書いて「コブチ」と読むのが正しいと、『黒い雨』には書いてあった。




 豊橋市西七根町の海岸(2006-02-06更新)

 
エッセイ目次へ