2003年11月 課題「町・街」
 
町並み―パリと東京

 25年前の12月、初めてパリに行った。

 ドゴール空港からメイヨー門のターミナルにバスが近づくにつれ、前方に見上げるように古いパリの町並みが見えてきた。ぎっしりと石造りの建物が建ち並ぶ様はまるで島のようだというのが第一印象だった。ターミナルからタクシーでシャンゼリゼ通りのすぐ裏にある古いホテルに向かったが、途中、凱旋門の偉容、広いシャンゼリゼ通りに早くも素晴らしい町だと思ってしまった。

 ホテルに着いてすぐに地下鉄でルーブルに向かった。地下鉄駅の階段を上がって最初に目に飛び込んできたのは、パレロワイヤルからコンコルド広場方向へと連なるリボリ通であった。衝撃だった。右手に高さの揃った建物がずっと連なっていたのだ。高さだけでなく、色も淡い褐色に統一され、各階の高さも、窓の大きさもずっと先のコンコルド広場の方まで整然と揃っているのだ。

 世界の大都会のいくつかに行ったが、ニューヨークもロンドンもジュネーブもストックホルムも東京も、パリの魅力にはかなわない。その後も何回か訪れた。凱旋門、エッフェル塔、サクレクールの丘、ノートルダムなどの数多くの名所。ルーブルや印象派美術館を初めとする数々の美術館や博物館。クラブやキャバレーが建ち並ぶモンマルトル界隈のナイトライフ。シックなパリジェンヌ。確かにこれらがパリが人々を惹きつける要因であるが、私がパリに惹かれるのはその町並みの美しさによる。そして町並みの美しさのよってくるところは建物の高さ、色、様式が揃っていることだ。リボリ通りはその典型であるが、他の多くの通りも揃っている。パリにもモンパルナス地区にはモダンな高層ビル群が立ち並んでいるが、中心部にはそうしたものはない。高さ・色・様式に対する厳しい規制があるに違いない。そうした規制を定め、かたくなに守るフランス人の美意識は我々とは違う。

 先頃、寺田寅彦の随筆を読んでいたら、パリの町並みのことが出てきた。寅彦はその中で、銀座の町並みは凸凹でニューヨークのマンハッタンに似ており、ちぐはぐな凸凹には「近代的感覚」があってパリの大通りのような単調な眠さがない、と述べていた。大震災後の昭和初期の銀座のことだ。私はパリの大通りに「単調な眠さ」ではなく、落ち着きと典雅を感じる。凸凹の「近代的感覚」を良しとする考えは、寅彦以後も大多数の日本人に引き継がれてきた。銀座のみならず東京全体が今でも凸凹である。

 東京の町並みで一つだけ建物の高さが揃っているという印象があるのは日比谷交差点から大手町方向の町並みだ。先日行ってみた。第一生命ビル、帝劇、東京會舘ビル、商工会議所ビル、そして明治生命ビルと、五つのビルの高さが揃っていた。しかし、白い石造りの第一生命ビルとガラス張りの黒基調のモダンな帝劇といったように外観はバラバラであった。そして、日比谷通りのお堀側の歩道から見ると、それぞれの建物すぐ後ろに高いビルが建ち並び、凸凹に空を画していた。建物の高さと色と様式を揃えたら、片側にお堀の続くこの通りは有数の美しい町並みになるのにと、残念に思った。
 
追記
 この作品を発表してすぐ後、12月8日の朝日新聞朝刊の一面に、国交省が「景観法」の制定を進めていることが報じられた。町の景観を前面に押し出した法律は初めてであり、地域を指定し、建物のデザインや色を規制するこの法律を04年度中に施行したい意向とのこと。
 こうした規制は大いにやっていい。

 
   日比谷交差点から大手町方面

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