2004年5月 課題 「鏡」

ネコと四六のがま                                  
                              
 
ずっと以前、我が家のネコを抱いて鏡の前に立ってみた。鏡に映る自分の姿にどのような反応をするか、興味があった。特段の反応がなかった記憶がある。

 今年満17歳という高齢になったその「おばさん」ネコを再度試してみた。鏡の像に向かって、歯をむいたり、うなり声をあげたりして威嚇することも、逃げだそうとすることもしなかった。鏡の自分から目をそらして見ようとしないのではと思ったが、きちんと向かい合っていた。私も鏡の中に一緒に映っていたので安心感があって、反応がないのかもしれないと思い、ネコの目の前に手鏡を突き出して、ネコ以外のものが映らないようにしてみたが、反応は変わらなかった。17年も生きてきた経験から、鏡の中の像をあれは自分の像だと知っているのだろうか。とするとネコにも自己認識が可能なことになる。

 動物に自己認識が出来るか。ネットで調べてみると、霊長類の一部は鏡の像を自己だと認識できるようだ。しかし、その他の動物では出来ないらしい。どうやら鏡像を自己と認識できる能力は高度に人間的な能力であるようだ。では人間は、何歳頃から鏡の像を自分だと認識するようになるのだろうか。鏡に対する幼児の反応を観察することから、生後1歳半にはこの能力を獲得することが認められている。幼児は鏡像を通して自分の身体に統一性を獲得し、それが「私」という自我確立の第一歩になるという。鏡像の自己認識というのは、心理学や精神分析学上、極めて興味ある問題のようだ。

 鏡の実験から数日して、おばさんネコが庭の蛇口の下にあるポリバケツから水を飲んでいた。このネコは清潔とはいえないここの水が好きでよく飲む。バケツの縁に前足をかけ、首を突っ込んでピチャピチャと飲む。その時突然ひらめいた。水面にネコの顔が映っているのではないか。おばさんの上からバケツをのぞき込んだ。鏡ほど鮮明とはいえないが顔が写っている。水面に映る自分の顔などまったく無視して水を飲み続けた。考えてみれば野生動物は水を飲むとき、殆どの場合、水面に映る自分の像に向かって顔を下げていく。その像を怖がったり、威嚇したりしていては生きていけない。とすれば、鏡に映る自分の像は、いつも目にするありふれたものだ。ひょっとするとそれを自己の像として認識しているかもしれない。

 動物による鏡像の自己認識で、最高傑作は「がまの油」だ。子供の頃聞いた落語「がまの油」の落ちは覚えていないが、「がまは鏡に映る己が姿のあまりの醜さに驚き、タラーリタラリと脂汗を流し・・・」という、油売りの口上は強く記憶に残っている。四面に鏡をめぐらし、下に金網を敷いた囲いの中に前足の指が4本、後ろ足の指が6本の四六のがまを追い込んで油を採取するところだ。発想がユニークでユーモラスである。がまを人間と同等に扱い、同じ感情、自己認識能力を想定した作者に、動物に対する優しさを感じる。

 がまにこのような能力があるなら、我が家のおばさんネコにもあるだろ。脂汗も流さず、私にも悟られないようにしているが、鏡に映る己の姿に若い頃の美貌がすっかり失せているのに、内心では愕然としいているのかも知れない。

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