2004年6月 課題 :木立

庭 木 立 
 
  横浜の北部、緑区に一戸建ての家を新築したのは23年前。敷地面積は210平方メートル(63坪)。14年間の社宅のアパート暮らしから、待望の土地付きの家に移ったうれしさから、当初の数年間は、休みの日には植木市を見てまわったり、造園業者を訪れたりして、気に入った苗木があれば買ってきては植えた。整然と植林された杉の木立よりも自然のままの雑木林に親しみを感じる私は、マツやツゲ、マキなど枝振りを整えた木をバランスよく配置した庭を作る気はなかった。第一そうした庭には専門家の手が必要で、ローンの返済に追われる身ではその費用の余裕がなかった。苗木を自分で植え、その生長を楽しみながら自分の庭を造ることにした。マツやマキといった渋い常緑樹よりも、新緑の鮮やかな落葉樹、あるいは花の咲く木、実のなる木が私の好みである。

 南に面した庭の中央に柿の木が2本ある。1本は次郎柿、もう1本は甘百目柿。すっかり葉を落とした梢に残るいくつかの柿の実が、澄んだ秋空に映えるのを縁側から眺めて終日過ごす、というのは私の老後に描いた夢の一つであった。縁側つきという贅沢な家は残念ながら出来なかったので、この夢は叶わなかったが、柿は是非植えてみたい木であった。苗の1本は植木市で先着何名かに配布された無料の苗である。7,8年後から実をつけ始めた。両方とも甘柿で秋になるとたくさんの実をつけ、我が家だけでなく、やってくるムクドリやメジロなどの野鳥も堪能している。

 柿の他に、ナツツバキ、ハナミズキ、モッコク、ツゲ、コノテガシワ、サルスベリ、モミジ、キンモクセイ、ツバキ、ドウダンツツジ、ツツジ、ヒメリンゴ、グミ、アジサイ、ジンチョウゲ、ピラカンサなどがあり、生け垣としてカナメモチとサザンカを南側に巡らせてある。私もしくは妻が移住後4,5年の間に苗を買ったり、あるいは友人が持ってきたものである。植えた覚えのない、アオキ、マンリョウ、センリョウがいつの間にか柿の下に生えているが、鳥が種を運んできてそれから芽生えたものであろう。

 生け垣は年に2,3回刈り込んで形を整えるが、他の木は年に1回、暮れに剪定するのみだ。柿、ハナミズキ、サルスベリ、ナツツバキは毎年伸びた分を刈り取るが、ドッサリと出る剪定枝に、これら落葉樹の生長の凄さを感じる。

 柿も植えたときは、1メートル足らずの、枝も出ていない苗木であった。苗木が生長した時の高さや、枝葉の張りを深く考えず、思いつくままに植えたので、上記のような多数の木が雑多に茂る庭になってしまった。かつて、ある専門家がこの庭を見て「雑木(ぞうぼく)ばかりだ」と切って捨てたが、確かに庭造りとしては失敗である。しかし、今さら造り直す気もしない。自分で手入れの出来るうちは、今のままの鮮やかな緑や、可憐な花、そして柿の収穫を楽しもうと思う。

 梅雨入りの今頃、浅い緑から深い緑へと変わりつつある枝葉を接して、2本の柿とモッコクが、2階の窓の高さまで伸びてきた。柿の隣ではハナミズキが天に向かって枝を一杯に伸ばしている。これらの木々は道路側から見ても、家の中から見ても、もはや庭木と呼ぶより庭木立といった方がふさわしい。
 
補足
 教室では「庭木立」というのはいい言葉だとコメントされた。私もこの言葉がこの作品の唯一のポイントと思っている。日本語として今までに使われたことがなかったのではないかとさえ思った。ネットで調べてみたら、天羽牛郎という人のHPに、自作川柳として以下の2作が載っていた。
 
雪の朝白いショールの庭木立
雪はれて白いショールの庭木立

                            我が家の庭木立 04年6月

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