2004年7月 課題:パーティ

55年体制
                                                        
 旧社会党の鈴木和美議員を励ます会に行ったのは、94年12月のこと。世間を仰天させた、自社さきがけの連立による村山内閣が成立して半年後のことであった。当時、鈴木さんは参議院社会党の国会対策委員長であった。鈴木さんは私が以前にいた親会社の労組出身だったので、関連企業にも励ます会への参加要請があったのだ。

 会場に行って驚いた。村山首相こそ来場していなかったが、壇上の鈴木夫妻を前に、激励の挨拶に立ったのは、社会党の久保書記長、原参議院議長に加えて、自民党から森幹事長、橋本龍太郎通産大臣、その他村山内閣の閣僚、さらに鳩山由紀夫氏などであった。

 社会党関係者のスピーチは型通りでよそよそしかったが、鈴木さんの人柄をユーモアたっぷりに称えた森幹事長の話し振りには、鈴木和美の人柄に惚れ込み、真の盟友と思っている様子が窺われた。「赤坂プリンスのこの部屋をこれだけ多数の人で満たした政治家は鈴木和美さんだけだ」と森氏は持ち上げた。
 
 50歳過ぎに親会社から移った第二の職場では、いくつかの貴重な体験をしたが、その一つは、政治家の資金集めのパーティに何回か出たことである。親会社では研究開発畑だけを歩んできた私には、まったく無縁の世界であった。本来なら、会社のトップ、あるいは総務担当が出るべき種類の会であったが、本社が九州にあったので、東京でのこの種の会には東京駐在の私が出た。

 こうした会は企業と政治家の癒着ではないかと思っていたが、代議士当人や招待された評論家の講演を聞き、粗末な立食パーティでサンドイッチをつまんで帰るだけ。選挙に際し票の取りまとめの要請もなく、会費も2,3万円ほどで、言ってみれば業界のつき合い、従来から縁のある保守政党の先生方へのご挨拶で、癒着といえるほどのものではなかった。代議士自身の話も、応援に来た大物政治家の話も、あるいは、最近痴漢行為の疑いで逮捕されたU氏などそれまで知らなかった評論家の話も、私にはそれなりに新鮮で興味深く、縁遠かった政治家、政治の世界が身近に感じられるようになった。

 企業が社会党代議士の激励会を後押し、しかも自民党のボスが挨拶する情景に、鈴木和美を励ます会の参会者の間では「時代は変わった」というため息にも似た感想が漏れた。

 確かに、表面的にはそう見えた。だが、大企業と高級官僚を基盤とする自民党と、大企業に働く組織労働者と下級官僚を基盤とする社会党は、イデオロギーや建前では対立していても、実際の利害では一致する面が多かった。両者は右肩上がりの経済の中で、増大するパイをお互いに分け合った。こうした体制が55年以来、細川政権が出来た93年まで38年間も続いたのだから、水面下ではお互いにもたれ合い、なれ合いが生じただろう。少なくとも両者の間には気心が通じ合っていただろう。森幹事長の挨拶にはそれがにじみ出ていた。
 
 そう考えると、村山内閣、橋本内閣と続いた自社政権は55年体制へのノスタルジーの産物で、鈴木和美を励ます会はその象徴であったのだろう
。 
 
 補足
 教室では下重さんも55年体制については私と同意見であった。政治家の話が出たついでに、下重さんは、田中角栄ほど魅力的な政治家はいなかったと言い切った。
 まだアナウンサーの頃、インタビューで目白に田中角栄を訪問した際、話のついでに同行者が下重さんのことを「ここにも独身者がいます、よろしかったら結婚相手をご紹介下さい」と言った。田中角栄は即座に「この人はダメだ」と答えたとのこと。「私が人の持ってきた結婚話に乗るような女ではないことを初対面で見抜いた。あの人の人を見抜く力はすごかった」と下重さんは言った。

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