2004年9月 課題 「高層ビル」

高いところ
                              
 高いところが大好きである。子供の頃は木登りが好きだった。疎開先の豊橋の田舎では、アケビや椎の実を採りによく高い木に登った。田舎の家の門口には大きな杉の木があった。そこにも登った。同じクラスの色白の可愛い女の子の住む西隣の村が、杉の木に登れば見られると思ったのかもしれない。家は門口から下がったところにあったので、杉の木の天辺からは庭がはるかに下に見え、2階建ての屋根も見下ろせた。さらに西側の木立の向こうに広がる水田も見えたが、隣村ははるかその先、畑や木々の向こうに隠れていた。

 若い頃は山登りに熱中した。山登りの最大の魅力は眺望であろう。峠に立てば向こう側がひらけ、山頂に立てば360度の眺望だ。

 高みに立つことにより視界はぐっと広がり、新しいものが見える。三次元的に広がった風景の中で、地形を認識し、その中での自分の位置を確認したいという欲求が、人々を高みへと駆り立てると、作家の池澤夏樹は言う。その欲求は、人類の祖先がアフリカの森から草原に出て、進化してきたことと関連しているのではないかと、池澤は推測する。獲物と外敵と自分との位置関係を常に知っておくことは生存の必須の条件であり、そのために少しでも高いところから周囲を見渡す。そうした遠い昔の祖先の習性が私たちの中に本能のように息づいていて、私たちは、今でも高いところに立って、周囲を見渡したいのだ。

 山登りの次に私に鳥の目を与えてくれたのは、飛行機による移動であった。仕事で東京と福岡を何回も往復した。人が住めるのは川に沿うわずかな平地であるというのがこの飛行のもたらした最大の発見だ。中部山岳地帯や、中国山地の上からは、集落は川沿いに細々と繋がっているのが手に取るようにわかる。

 飛行機と相前後して高所からの視点を提供しくれたのは超高層ビルである。霞ヶ関ビル、東京都庁、横浜ランドマークタワー、世界貿易センタービル、エンパイアステートビル。昨年出来た六本木ヒルズにも暮れに行った。無秩序に広がる大都市東京の景観を一望するには絶好の場所だ。

 今年の夏、犬吠埼の灯台に登った。内部の螺旋階段を登るとライトの下をぐるりと回る手すりつきの回廊に出られる。丸みを帯びた太平洋の水平線から、真下の岩にくだける白い波に視線を移した時、足がすくみ、腰の辺りにしびれが走る感じがした。恐らく、顔もひきつっていただろう。地上から30メートル、海面までは50メートルほどの高さに過ぎないのに。

 飛行機に乗っていても、高層ビルでもこうした高所恐怖症状は現れない。ガラスで外界から完全に遮断されていて、決して落ちることがないという安心感があるからであろう。私の高所恐怖症状は、空間が外部と繋がっているところでのみ発現するようだ。犬吠埼灯台では、柵の間から、あるいは胸の高さの柵を乗り越えて、下の方に吸い込まるのではないかという、いわれのない不安が恐怖をかき立てた。

 子供の頃木に登っても、高いところに立っても、恐いと思ったことなどまったくなかった。大人になって以後、高所恐怖症状は年齢と共に強くなっていった。それは私のうちの原始的な本能が年々衰えていく証拠にも思われる。

 
参考
 「母なる自然のおっぱい」:池澤夏樹、新潮文庫

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