宮崎ひさ子略年譜

大正 3年1月2日 山形県米沢市直峰町に、織物業、行方(なみかた)清二、こうの八人兄弟の三女に生まれる。(戸籍名はヒサ)米沢高等女学校卒
昭和 13年4月13日 陸軍士官学校国漢文科教官、陸軍教授正七位、宮崎令二と結婚。上野精養軒で挙式。 東京都板橋区中板橋に居住。
14年7月21日 長男、健生まれる。
17年11月16日 次男、虔二生まれる。
19年7月 戦争激しくなり、妻子米沢に疎開。
19年8月20日 三男、 裕生まれる。
20年 終戦
21年 夫、令二が公職追放にあい、家族ともども大阪に移り住み、兄、行方実経営の婦人服地会社「国際物産」に入る。取締役総務部長。
22年10月22日 大阪府南河内郡狭山町西池尻四三七に住まう。
30年ころ 子供の通っていた私立、帝塚山学院の縁で、俳句を始める。「七曜」の橋本多佳子先生、のち「天狼」の山口誓子先生に師事。
45年4月4日 長男、健結婚(妻、真喜子)。孫、恵理子、智香子。
46年4月11日 三男、裕結婚(妻、修子)。孫、真由美。
56年4月12日 次男、虔二結婚(妻、和代)。孫、慎太郎。
59年1月16日 夫、令二死去。七八歳。 「覚照院泰令廓道居士」
59年5月 連休に家族そろって納骨のため九州・唐津に帰る。
平成  4年11月8日 死去。78歳。「慧照院久室智性大姉」。共に佐賀県唐津市元旗町、松雲寺に眠る。
平成 10年10月17日 家族そろって唐津に帰り、七回忌をすます。

平成

16年(2004)10月16日 唐津・松雲寺で母の十三回忌、父の追善供養。


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