2026年8月 課題:水難
女性の水難は少ない
私の行った小学校と中学校にはプレールがなかった。高校にはプールがあったが、体育の時間に泳いだことはない。結局、戦後疎開していた豊橋の田舎の溜池で自己流におぼえたのが私の泳ぎだ。犬かき、自己流バタ足の抜き手、のし(横向きで泳ぐ)。平泳ぎは手と足がうまくバランスしなかった。
高校一年と二年の夏、鋸南町の保田に行った。父の務める町工場が、保田の民家を一軒借り上げて、社員の保養施設としたのだ。特に二年生の時はこの民家の留守番として10日も保田にいた。穏やかな遠浅の海だったが、私は背の立つ範囲で海と戯れ、貸しボートで沖まで行ったりという毎日だった。
翌高校三年の時、父の会社のTさんが保田の海で亡くなった。浅いところで倒れてそのまま亡くなった。Tさんは持病としててんかんをかかえていたからその発作が原因だろということになった。
24歳、母親と弟を残しての突然死だった。
翌年大学に入った夏、体育実技の時間に水泳があった。屋外の25メートルプールを行って帰れるかどうかが試された。そのくらいは泳げるだろうと思った。何とか25メートルを泳いだが、もう息切れしてしまった。しばらく壁につかまって息を整えてから、残りの25メートルに挑んだ。泳法はのし。ゴールまであと10メートルほどの所で前に進まなくなり、沈みかけたが、必死で泳ぎ切った。水泳の怖さを痛感した。
それからしばらく後、この水泳テストで新入生が一人亡くなった。途中で沈み、そのまま亡くなったという。受験勉強で酷使した体が急激な運動に心臓が耐えられなかったのだろうとされた。
そして夏休み。クラスメートのKが亡くなった。前年に続き保田の海で!
Kは実験の際隣どうしだった。2歳年上で私などよりずっと大人だった。実験も要領がよく、蛙の解剖などもさっと済ませていた。専門課程は理学部の化学科志望。定員が少なく一番難しい学科だった。だから勉強家だった。
一年に3人もの若い男性の水死。考えて見ると女性の水難は耳にしない。
振り返ってみると、一緒に海水浴に行った女性は皆泳ぎがうまかった。
まず、高校二年の保田。1歳上のSさん。海岸から200メートルはあるかと思われる岩礁まで、悠悠と泳いでいって帰ってくる。
娘もうまかった。学校に上がるとスイミング教室に通わせた。家族旅行で伊豆や、小豆島に行ったが、小学生の娘は平気で沖の遊泳域を示すロープまで泳いでいく。私も妻もとてもついて行けなかった。後にスキューバダイビングが娘の趣味となった。
最後は職場の女性。昭和50年代、研究室で夏には泊まりがけの海水浴に出かけた。伊豆や三宅島までも。若い女性が3人いたが、いずれもうまかった。ある時、そのうちの一人に立ち泳のやり方を聞かれた。水中で手足を細かく動かして、顔が水面上に出るようにすると教えたら、彼女は、そんなことしなくても、立てば顔が上に出る、とっぷりと沈む方が難しいといった。道理で、彼女は沖から顔だけ出して海岸に向かって手を降ることが出来るのだ。
脂肪が多い、あるいは骨盤回りが男性より大きいことなどが女性が浮力を得やすい原因だろう。死ぬか生きるかの極限状態では、この浮力の差は無視できないのではないか。
女性の身体的特徴が、男性に比べて水難の少ない一因かもしれない。
2026-08-27 up
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