2022年12月  課題:襲名


杉落研あるいは六代目円楽

 70歳を過ぎた頃だ。自分にはこれといった芸が何一つないことに気がついた。いまからでも何か一つ身につけられないか。思いついたのが落語を語ることだった。これなら私にもできるのではないか。そんなとき、職場のOB会でWさんから杉並江戸落語研究会(「杉落研」)の話を聞いた。この会は落語の鑑賞だけでなく、落語を語る稽古もしている。特にプロの指導を受けるのではなく各自が自主的に月2回集まって稽古するという。

 月2回の稽古、それも自宅からは遠い高円寺ということもあり即座に入会はしなかったが、会員による寄席には2回行った。Wさんは 高円寺亭喰心坊という高座名で、自作の「渋谷のかぐや姫」という題目を演じた。始めてまだ日の浅かったWさんは、会長で貫禄十分の事例亭武蕉さんと比べると、前座程度の演技だったのは仕方がない。小学生の女の子が「寿限無」を演じきったのには驚いた。

 杉落研には、江戸の旧跡巡りと落語鑑賞を組み合わせた江戸ツアーというのもあり、もっぱら鑑賞専門の会員もいる。その一人、なんちゃ亭イチローさんの案内で、両国界隈を歩いた。両国橋から、花火博物館、回向院、吉良邸、海舟生誕の地など、私には初めての所ばかりで興味深かった。最後が両国亭で三遊亭圓楽一門の寄席。出演者は9名、3時間たっぷり聞いて代金は1200円。会場は30人も入れば満員という狭いもの。とりは六代目三遊亭円楽。見覚えのある顔だと思ったら、以前によく見ていたテレビの「笑点」のレギュラー、楽太郎だった。題目は「西行」。初めて聞く咄。最前列に座った私の右前5メートルほどの所に円楽を聞くという驚きで一杯で、咄の中身は覚えていない。

このエッセイを機に調べてみた。西行と鳥羽上皇の寵姫待賢門院の恋を下敷きにした落語で、一夜の契りの後で女は西行に「阿漕」と言って去って行く。「阿漕」は古歌の中に出てくる言葉だが、西行はその歌を知らず、意味も知らなかった。それを恥じて、出家して西行と名乗り歌の道に励んだというもの。馬鹿げたフィクションだが、歴史や和歌や古語の知識が必要な古典落語で、「笑点」のメンバーではインテリとされていた円楽好みの演目なのだろう。

 円楽師匠は五代目から円楽を襲名したばかりだった。この日も、襲名披露で確か東北の方に出かけていて、ここに駆けつけてきたという。先代五代目三遊亭圓楽は生前、自分の名跡を愛弟子の楽太郎に譲ることにしていた。そして、楽太郎の襲名は2010年2月の予定であった。しかし、前年の10月に圓楽は亡くなる。楽太郎が六代目を襲名したのが2010年の3月。私たちが両国亭に行ったのはその年の6月だから、まだ地方での襲名披露は終わっていなかったのだ。当時圓楽一門は落語協会と袂を分かっていて、広い寄席での公演ができなかった。それで、両国亭のような狭い会場を使っていたのだ。

 この後3回、江戸ツアーに参加したが、やはりこうした芸事は自分に向かないと思ったのだろう、杉落研とは2年足らずで疎遠になった。もし自分が高座に上がることがあったら菜園亭薄才と名乗ろうと思っていたが、夢に終わった。

 杉落研はますます盛んで、何人かの会員はユーチューブで披露している。

 六代目三遊亭円楽は、今年の9月30日死去。72歳。

補足
杉並江戸落語研究会

六代目三遊亭円楽師匠の「西行」

阿漕:平安時代の古今和歌六帖にある歌。

伊勢の海あこぎが浦に引く網も度重なれば人もこそ知れ

 何事も度重なれば人に知られてしまうという意味。
 女は、逢瀬を重ねると人に知られてしまうからもう会わないと西行に言ったのだ。

 伊勢の海は伊勢神宮の海で、そこで漁をすることは禁止されていた。それにもかかわらず漁を続けていた漁師は捕らえられた。
 このことから、現代の欲張り、図々しいなどの意味へ広がった。


   2022-12-21 up


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