1998年3月    課題:「オリンピック」

カーリングとペタンク

 ジュネーブに滞在している時、カーリングというスポーツを初めて目にした。78年の秋だから、日本人としては早いほうだろ。職場への道の途中に立派な体育施設があり、ある日そこをのぞいてみたら、ボーリングのレーンみたいなものがあって、そこで人々が取っ手のついた大きなたくあん石のようなものを滑らしていた。レーンは氷になっていて、そのたくあん石の前を男が二人、床ブラシで氷をこすっていた。それに導かれるように石が音もなく滑って行き、奥にある同じ様な石にぶつかった。どうやら決められた目標に近いところに自分の石を置いた方が勝ちらしい。しばらく見ていると、初老の男性が話しかけてきて、これはボーリングといって、日本から来たものだと言った。私はびっくりしたが、お互いに母国語ではない不自由な英語で説明するのもめんどくさかったので、おじさんの勘違いを訂正はしなかった。このゲームがカーリングという名であることは後で知った。16世紀のスコットランドにはすでにあったというこのスポーツは、当時のスイスでもまだ珍しかったので、おじさんはボーリングと混同したのだろう。

 そのカーリングが、長野オリンピックで正式種目となった。テレビの総集編で日本対アメリカの対戦を見たが、最後はわずか5センチくらいアメリカチームのストーンが標的に近く、日本はメダルに届かなかった。きわめてスリリングな幕切れだった。ストーンを投げ終わった後、そのままの姿勢でその行方を凝視する選手の眼差しの真剣さが強く印象に残った。肉体の強靱さや鍛錬よりも、ストーンの位置取りや、相手のストーンに当てる時のスピードと角度を綿密に読むといった、高度に知的な駆け引きが要求されるこのスポーツが、オリンピック種目として採用されたのは不思議な気がする。けれども「ミズスマシの様にくるくる回っているだけ」のスピードスケートなどよりずっと面白い。

 これと似たゲームにペタンクというのがある。南フランスが発祥の地という。パリの真ん中のチュイルリー公園で、いい年をした男達がこのゲームに熱中しているのを見たことがある。10メートルほど先にある標的の球に向かって、直径7、8センチの鋼鉄製の球を、手のひらを下にしてアンダースローで投げ合う。お互いに相手の球をはじき、標的に最も近いものが勝ちというところはカーリングと同じだ。そう言えば、子供の頃、石を使って同じ様な遊びをやった記憶がある。ペタンクもカーリングも、そのルーツは子供のちょっとした遊びにあるのかもしれない。

 長野オリンピックを見ていて、カーリングを初め、エアリアル、スノーボード、モーグルと、今までほとんどなじみのなかった種目がたくさんあるのに驚いた。こうした種目を見ていると、人類の遊びに注ぐ並々ならぬ情熱と創意にただただ感心する。人間は遊ぶために生まれたのではないかとさえ思う。これからも種々の新しい遊び、スポーツが次々に創案されていくことだろう。そして今まで貪欲に新しい種目を飲み込んできたオリンピックは、これからもどんどん種目を増やして行くだろう。いつか、ペタンクもボーリングも、オリンピック種目として採用される日が来るかもしれない。


エッセイ目次へ