八ヶ岳一帯は天気予報のエアポケットのようなところで、気象庁発表の「長野県中部」の予報にも「山梨県西部」の予報にも該当しません。
NHKも民放もこの現実を永年放置してきました。 |
八ケ岳高原(野辺山周辺と赤岳・横岳・硫黄岳含む)の天気予報(24時間・週間)
通年で出される一番近くの予報といえば軽井沢だ。数十キロ離れている。そこを参考にすればいいではないかと思うかもしれない。NHKも民放も情報の出所は気象庁で一緒だから一蓮托生でいうのだが「八ケ岳から見ると、軽井沢の天気などまるで参考にならない」のだ。軽井沢にいる知人は毎年こぼしているが、春先に布団を脱水装置で乾かすと一升瓶で10本分くらいの水がすぐ取れるという。家の根太もすぐ腐る。当たり前で、この地は群馬県側から這い登ってきた雲が、碓氷峠を越えてから浅間山あたりの高度で冷やされるから霧が発生する。
軽井沢でゴルフをするとわかるが、ひどい霧でキャディーが「お客さんこっちの方向に打ってください」とティーグラウンドに目印のクラブを置いてくれる時が多い。午前中はまず霧中のゴルフを覚悟せねばならない。そのとき八ケ岳は快晴なのだ。軽井沢は夏場に湿気で肌寒く感じるのを、涼しいと錯覚している場所にすぎない。八ケ岳からみて気象的に軽井沢が参考になることなどあまりなくて、冬場向こうが大雪なら(そんなことほとんどないが)こちらは小雪が舞うかな、という程度だ。
八ケ岳というのは10以上の連山ではあるが、地勢的には富士山と同じく一種の独立峰といえる。風の向きや気圧の通り具合で気象が微妙に変化する場所だ。私のような素人でも、ここに独自の気象予報が必要だと思う。しかるにそうしたものは皆無だ。八ケ岳がこうした「忘れられた存在」になった理由は、はっきりしている。縦割り行政のせいだ。
八ヶ岳と周辺のマップ。(クリックで拡大図 ) 我が山墅がある場所を図示したが、このあたりは長野県南佐久郡南牧村になる。 |
数えたことはないが、周辺に10以上の市町村が区域を接している。本来こういうことは行政が陳情なり要望なりすると早いのだが、市町村にそうした発想はない。私がいるのは「八ケ岳の東」、野辺山だが、長野県の県庁所在地である長野市、山梨県の県庁所在地である甲府市からこの地を見るとわかるが、いずれからも「はずれ」に位置している。気象庁は役所で県庁所在地からしか物を見ない。こうして長年にわたり捨て置かれた。
長野県は予報区が北部、中部、南部に分かれている。このあたりは「中部」に分類されているが、同じ中部といっても真ん中に八ヶ岳があるのだから、西から変わる気象は山の向こう側の茅野市などとは当然変わってくる。気温だってぜんぜん違う。一方、山梨県は予報区が東部、中部、西部に分かれている。ここから一番近い清里は今では北杜市に編入されているが、このあたりは予報区では山梨西部に入っている。長野、山梨のいずれの天気予報にも「八ケ岳」とか「野辺山」とかいう名前はない。
我が山小舎があるところでは冬場マイナス20℃近くまで下がる。身震いしつつ、今朝は北海道北部あたりの冷え込みだな、と思っても、放送で出てくるのは佐久市や軽井沢で「今朝はマイナス8℃と冷え込みました」などとやっている。まるで実感がない。
八ヶ岳関係の予報がどのくらい当たらないか。いい例が2006年だ。この年は昭和38年の「38豪雪」以来、数十年ぶりの大雪で「平成18年豪雪」と命名された。長野県の県境に ある新潟県津南町は4メートル16センチの記録的積雪だった。このあたり秋山郷といい、風光明媚だが雪が多く、毎年、長野側からの交通は途絶するが、この年は新潟側からも行 けなくなった。このニュースが頭にあるから、人と話していて八ケ岳の話になると「さぞかし大変だったでしょうね」といわれた。あにはからんや、八ケ岳は「記録的少雪」で3月 中旬でも高度1760メートルの我が山小舎まで路面がむき出しだった。昨年は除雪の雪の壁がそそり立って、我が家の犬たちは壁を超えられなかったほどなのに。
新潟が大雪になるシベリア寒気団の張り出し。 でも八ケ岳では少しの雪だ。 |
シベリア寒気団はこの方角から やってくるが、八ケ岳では西からの 低気圧と前線の影響の方が大。 |
野辺山で氷点下26度(2012年2月3日)
3日朝の長野県内は、寒気と放射冷却の影響で記録的な冷え込みとなった。最低気温は野辺山氷点下26・0度、野沢温泉同14・5度など、30観測地点 のうち5地点で観測史上最低となった。長野地方気象台によると、史上最低を記録したのはほかに、松本今井氷点下17・3度、浪合(下伊那郡阿智村)同16・3度、飯島同14・1度。 このほか、軽井沢同18・6度、諏訪同13・9度、伊那同13・7度、松本同12・7度、長野同10・4度など19地点で今季最低を記録した。
最低気温が観測史上最も低い氷点下26・0度に
なった南佐久郡南牧村野辺山=3日午前11時24分気象庁によると、全国では東北から九州にかけての計38地点で3日未明から朝にかけて、観測史上最低気温(過去タイ含む)を記録した。全国の地域気象 観測システム(アメダス)で気温を観測している927地点のうち、9割を超す874地点で最低気温が氷点下の「冬日」だったという国内で最も冷え込んだ のは北海道枝幸町・歌登の氷点下32・6度で、今冬全国で最低だった。(信濃毎日 写真も)
八ケ岳連峰とその標高(クリックで拡大図 ) |
「赤岳頂上小屋」とその260b下の横岳との稜線上にある 「赤岳天望荘」は我が山墅の方向からは一緒に眺められる。二つの小屋の灯がチカチカ と光る晴れ渡った夜など、あああそこに登って下界を眺めたいものだと 思ったりする。小屋の営業案内にリンクを付けておいたが、それぞれにホームページがあり、リンク先から飛べるが、立派な風呂もあるようだ。ともにゴールデンウイーク前ごろから11月上旬までの営業だが、 下の小屋はクリスマスごろから正月10日ごろまでも営業しているので、天候次第だが「厳寒の中の灯火」が見られる時もある。
横岳への登山は近年、サイトの亭主がいる八ケ岳高原海の口自然郷の富士見地区にある登山口から登る人が激増していて、シーズンにはクルマがあふれてぎっしり路上駐車 で埋まるが、厳冬期でも駐車場にクルマが見られるほどだ。これは、以前は小海線近くの海ノ口温泉あたりの標高1040メートルあたりから登山していたものが、海の口自然郷の開発とともに登山口自体がどんどん 上になり、現在では登山口駐車場がある富士見地区の標高1750メートルまで上がった。ここまでクルマで来ることができるので徒歩による行程は1時間半から2時間ほど短縮された。 横岳頂上まで行程表では「3時間半」である。これは大半の登山者のルートである茅野側の赤岳鉱泉小屋からとさして変わらない。横岳直登の最短ルートとなっているので、今後登山者はさらに増えるだろう。
横岳で発見されたツクモグサ。八ケ岳に多い翁草の仲間だ。 |
「九十九」にどういういわれがあるのかと調べたら、発見者の祖父の名前から取ったのだという。八ケ岳一帯で見られるオキナグサ(翁草)の仲間である。ツクモグサは横岳に登らないと見られないが、 オキナグサの方は、近いところでは小海町の人たちが 大事にしていて、見たい人は八峰の湯の入り口付近、高原美術館との境の壁沿いにたくさん植えられている花である。
海の口自然郷からの登山道 |
夕刊フジの創刊メンバーだったので、「同じフジだから敬意を表して」仲間10人ほどと登った。健脚でなるカメラマンが「いつも山開きの写真を撮りに行くが、3時間半で頂上だ」というのを真に 受けて、真夜中5合目から登った。頂上でご来光を拝む予定が、あにはからんや、7合目で陽が昇ってきた。頂上には昼前よれよれで着いた。3時間半と言ったカメラマンを殴りたい一心で下山した。
北岳はその翌年だ。これまた「日本一を登ったのだから日本2位を征服しない手はなかろう」と言われてその気になった。麓の広河原の宿で真夜中までどんちゃん騒ぎをして登ったのがいけなかった。 たちまち息が切れた。お花畑までは死ぬ思いでたどり着いたが、そこからの尾根道は強風で息もできない。深さ30センチほどの穴を見つけて首を突っ込んでやっと息をついていたら見ず知らずの登山者が 、私もその穴を使わせてくださいと首を突っ込んできた。それくらいの強風だった。こういう場合、雑談をするのだろうが、口を開く元気もなくかすかに手を振って別れた。
我が山墅の前に横たわる横岳が日本で何番目の高さなのか知らないが、夜中の酒盛りで「登ろう」ということになり、水の代わりに冷凍した缶ビールをしこたま背負うというでたらめな登山だった。 もちろん、過去2回のよくぞ生還した、という悲惨な登山歴からきっぱりと同行は断わった。せめても登山口まで送ってやるかというのが、「もう少し上まで付き合え 」と言われて、もう少し上、ちょい上とやるうちに森林限界点を超え、ハイマツの樹林帯を歩き、と富士山でも北岳でも味わった例の苦行を繰り返して頂上に着いた。
案内書に「行程3時間半」とあるところを5時間半、途中喘いでの休憩30数回という体たらくであった。正確にいうと頂上でなく、下の山岳地図にある「三叉峰」なのだが、もうこ の辺が限界だった。ビールのうまかったこと、忘れられない。帰りは行程3時間のところ3時間半で山荘に着いたが、翌日は全員階段もいざり歩きでなければ降りられないくらいの消耗ぶりで、 もう二度と御免だ。
その時のアメリカ人とは4年後にカリフォルニアのリゾート地、モントレーで再会した。タフな男で全員のビール缶を一人で背負って登ったのだが、「あの時のようなうまい ビールは、ここカリフォルニアにもないね」という点で一致した。その頃、私は不甲斐ない体力を自覚してすっかり山登りをあきらめて、ペブルビーチやスパニッシュベイでゴルフをしていたのだが、横岳登山の挙句、階段を尻を滑らせながら這い下りたあの日の痛みが蘇った。
google map3Dで表示される俯瞰図(現在はない) |
厳冬の赤岳山頂。地蔵さんや立杭に 「エビの尻尾」が発達している。 |
高校時代から山岳部にいた強健な青年も、酒席を断ったことがないという怠惰な生活のおかげで、今は見る影もなく貧弱な体だが、夢だけはまだ残っていて、すぐ近くの八ケ岳の最高峰、赤岳の冬の様子を見たいものだとかねがね思っていた。2017年1月の週刊新潮の巻頭写真に真冬の山頂の写真があった。見るからに厳冬を感じさせる「エビの尻尾」に身震いした。これは我が山墅でも見られる霧氷の一種で、大気中の水分が樹木などに付着して発生する。強風が加わると風上に向かってどんどん大きくなり、やがては蔵王で有名な樹氷にまで成長していく。写真で尖った氷の先が「風上」である。
その蔵王だが、小さい時から数えきれないほどスキーに出かけた。母の実家がすぐそばの米沢で近かったことと分家の従姉がスキー好きだったためだ。午前4時とかこちらが熟睡中にたたき起こし、汽車に乗せて、ロープウエー代まで従姉持ちで連れて行ってくれた。大きくなってからも、大学が札幌だったから親元の大阪への帰省の行き帰りにせっせとスキーと温泉に通った。
事件はその従姉と一緒に登ったときに起きた。蔵王はロープウエー山頂駅を出るといきなり「ざんげ坂」の難コースである。「絶壁」に見える急坂の上、樹氷の間を縫うように下るから狭い。パラレルができずボーゲンやキックターンの初級中級者は文字通り「懺悔」の連続である。スピードが出ていて止まれずスキーの先端が樹氷に突き刺さった。あがくうち樹氷の下のくぼみに逆さまにぶら下がった。上手な従姉たちはみな先に滑り降りてしまっていた。少しコースから外れていて誰も通らない。「凍死」も覚悟したものだ。頭に血が上る(下がるか)なか、ジタバタするうちカンダハーに手が届き外れて下に落ちた。今度は深い雪の中で窒息するのかという格闘になった。精根使い果たしてコースに戻れたから今がある。
事件はもう一つ起きた。高校の同級生が一緒だった。彼は直滑降しかできなかった。従姉の「行け!」の声でまっすぐに「落ちて」行ったが止まることができない。鉄柱のそばで大きな雪煙を上げた。てっきり激突したと思って駆けつけると、本人は無事だった。「なぜさっさと起き上がらないのだ。心配するではないか」と詰問すると、「いやあ、よくぶつからなかったものだと感心していた」という。現在比較文学の大家として皇居でのオバマ大統領の晩餐会や講書始の儀で両陛下に招かれたりしている東大名誉教授「K」(特に名を秘す)氏である。蔵王から生還した男2人の思い出である。
トニー・ザイラーが蔵王でオーストリアスキーの神髄を披露した時もすぐ近くにいた。1956年のコルティナダンペッツォ冬季オリンピックにてアルペンスキー回転・大回転・滑降の金メダルを獲得し三冠を達成したスキーでは「神様」だが、札幌から駆け付けた。といっても仕送りの半分の受講料に加えて抽選、どちらの壁も突破できない学生だから、正規の受講者が講習を受けているすぐそばでの「盗み聞き」である。それまでの日本の回転の指導は回転軸の内側に体を向けるものだったが、オーストリア式では外側に体を向ける。なるほど、と無料で会得した。
蔵王の温泉宿の大浴場で鉄道オタクの小学生に出会った。新橋から始まって、よどみなく駅名を暗唱している。広島あたりまで付き合ったが湯当たりした。「駅の名前だけではダメだ。熱海なら金色夜叉、静岡なら徳川家康、赤穂なら忠臣蔵の勉強をしろ」と偉そうに説教して別れた。新聞社の編集局にその子供と母親から礼状が届いたので見ていたら、そばでサツ記者で名をあげている先輩が「なんで俺の甥っ子のハガキがあるんだ」という。のちのち、その先輩から鉄道オタクの少年は東大に入ったことを聞かされた。いまはそこらで中年サラリーマンをしているのだろう。
2006年、4人が遭難した阿弥陀岳。手前に稜線が 写っている赤岳から撮影したもので途中の山は中岳。 |
そろそろ「八ケ岳」という天気予報区が必要だ、と上述のように書き、『Mt.8ブログ』にも「気象庁は怠慢だ。このまま捨て置くなら大手町に殴り込みをかける」と憤懣 をぶつけていた2006年春、それから10日とたたないうちに、八ケ岳・阿弥陀岳で3人が遭難死した。阿弥陀岳というのは我々がいる横岳の稜線からは見えないが、朝夕眺め ている最高峰、赤岳のすぐそばの山で登山者に好まれる山だ。少し前の2月6日にも専修大学生3人が同じところで遭難騒ぎを起こしたばかりだった。八ケ岳が危険になる時の天気図を上で紹介したが、2件ともその通りの気象図だった。このとき気象庁の天気予報では「海も山も荒れ模様」と流しただけだ。
山頂付近は氷点下19度だったそうだが、この程度の気温ならここで過ごしている人間にとってはよくあることだ。しかし、風速17メートル前後だったという。風速1メートルで体感温度は1度下がる。単純計算では3人は「氷点下37度」で凍死したことになる。それぞれベテランだったようだが、この寒さでは誰だってひとたまりもない。天気の急変を告げる予報があったら・・・と悔やまれる。
2006年は日本海側は記録的豪雪で、気象庁が「平成18年豪雪」と命名したぐらいだが、八ケ岳ではむしろ少雪と言った方がいいくらいだった。それでも阿弥陀岳では3件4人が遭難死した。1件は岩稜を登攀中に転落、ロープが絡まっての死亡だが、八ケ岳に特化した気象予報がいかに必要か痛切に感じた。
南八ケ岳は他と比べて比較的簡単に登れる山だろうが、やはり3000メートル近い高山である。我が目前にそびえる赤岳、横岳、硫黄岳に限っても毎年のように遭難者が出ている。遭難は冬場が多いが夏も出ている。
◆八ケ岳連峰 硫黄岳の山頂付近に男性遺体◆(2024年2月6日)
2024年2月6日午後2時半ごろ、八ヶ岳連峰の硫黄岳の標高およそ2700メートルの山頂付近で、警察などの捜索隊があおむけに倒れている男性を発見した。男性はその場で死亡が確認された。
◆八ヶ岳連峰 赤岳山頂付近で横浜の会社員(49)滑落死◆(2024年1月19日)
赤色の上着を身に着け黒色のズボンをはいていたなど特徴が一致したことから、神奈川県藤沢市の会社員・安藤達男さん(59)と判定した。安藤さんは、4日に八ヶ岳の赤岳に単独で入山し、山荘で一泊したあと、5日から行方がわからなくなっていて、警察と遭対協が捜索していた。死因などを調べている。
冬の赤岳山頂付近 19日午前8時ごろ、八ヶ岳連峰・赤岳の標高およそ2800メートルの山頂付近で、男性1人の遺体が見つかった。ヘリコプターで遺体を収容して茅野署が身元の確認をすすめたところ、横浜市の会社員杉山武さん(49)と確認された。
◆赤岳で80代の男性が滑落死◆(2023.8.29)
杉山さんは14日、友人と2人で美濃戸口から入山したが、15日、山頂付近から下山中に行方がわからなくなった。同行の男性は「道に迷って時間をロスしているうちに日が暮れ、はぐれてしまった」と話していた。
16日未明に男性の家族が警察に届け出があり、茅野警察署の山岳遭難救助隊と地元の遭対協が捜索していた。18日は天候不良でヘリは飛べず、地上から捜索したが発見に至らず、19日に増員して捜索した結果発見した。
杉山さんは稜線から40メートルほど下の崖下に横たわっている状態で発見されたということで、滑落したのではないかとみられる。
2023年8月29日、八ヶ岳連峰の赤岳山頂付近(標高約2800メートル)の登山道上で男性登山者が倒れているのを他の登山者が発見し、110番通報した。男性は意識がない状態だったということです。天候の回復を見て、30日朝、長野県警ヘリが救助したものの、男性は頭を強く打っていて、病院で死亡が確認された。
亡くなったのは、大阪府八尾市の無職の男性(84)で登山届によると、28日に単独で入山し、29日に下山する予定だった。
◆赤岳で行方不明の男性 遺体で見つかる◆(2023.1.2)
2023年1月2日、八ヶ岳連峰 赤岳の山頂付近で登山をしていた愛知県豊田市の今野拓史さん(48)から「岩場で転落し足をけがして動けない」と警察に通報があった。
捜索の結果、6日午前10時すぎに登山道からおよそ300メートル下の斜面に倒れている今野さんを警察のヘリコプターが発見したがその場で死亡が確認された。
今野さんは今月1日から単独で登山していたが、何らかの原因で滑落したと見て警察で当時の状況を調べている。
また、同じ2日赤岳の隣の横岳・石尊稜で年越し登山をしていて遭難した山口県の男女4人が警察に救助を要請してきた。先月31日の大みそかに八ヶ岳連峰に入山したが現場付近で、日没となり身動きが取れなくなったという。
◆八ケ岳・阿弥陀岳で7人滑落 男女3人死亡、4人けが◆(2018.3.25)
県警の山岳救助隊が出動、翌朝全員救助された。一行は62歳から67歳の男女4人で、標高およそ2700メートルの石尊稜付近で雪を掘った穴の中で一晩を過ごして翌日午前9時前、捜索していた警察などに発見された。女性一人が凍傷のような症状があり病院に運ばれたが、男性3人に目立ったけがはない。
警察による暮の29日から2023年1月3日までの間に県内の山で遭難した人は11人に上り、過去10年間の年末年始では最も多かった。
2018年3月25日午前8時35分ごろ、長野県の八ケ岳連峰阿弥陀岳(2805メートル)の南稜付近で、登山者が滑落したと、他の登山者から通報があった。県警茅野署によると 、滑落したのは関西地方から来た、30〜60代の男女7人のグループ。県警ヘリコプターなどで救助されたが、うち男女3人は搬送先の病院で死亡が確認された。
阿弥陀岳の7人滑落現場。P3から300b落下、赤丸で県警が救助。 死亡したのは、神戸市東灘区本庄町1丁目の会社員亀石安央さん(48)、京都市西京区大原野西境谷町2丁目のアルバイト従業員山下貴久子さん(39)、兵庫県伊丹市西野7丁目 の建築士中澤恒雄さん(63)。このほか、大阪府吹田市の男性(47)が左足の骨を折る重傷、男女3人が打撲などの軽傷を負った。
7人は大阪府山岳連盟に所属する山岳会のメンバーで、インターネットで長野県に提出されていた登山届によると、長野県原村の舟山十字路から24 日朝に入山、立場岳(たつばだけ 2370b)付近でテントに宿泊して、25日阿弥陀岳の頂上を目指し同日中に下山する予定だった。遭難したのは阿弥陀岳直下の標高2600メートルの 「P3」と呼ばれる南陵線で、西側斜面に約300メートル、標高で約100メートル滑落したとみられる。
7人滑落現場地図 軽傷の1人が「ザイルで7人がつながり、先頭の人が足を滑らせて全員滑落した」と証言している。現場は上級者向けのルートで、午前8時半ごろの阿弥陀岳上空は高気圧に覆われて 晴れており、風も弱かったが、21日から大雪が降ったことから、雪壁の氷の上に雪が積もり、不安定で滑りやすい状態になっていた可能性がある。
県警によると、7人を救出する際に現場でザイルが複数にちぎれているのが見つかったという。3人の死因がいずれも窒息だったことから、滑落と同時に発生した雪崩に埋まったものと みられるが、普通ザイルで連結するのは2,3人なのになぜ7人全員がザイルを結んでいたのかなど調べている。
亡くなった亀石安央さん(48)と建築士中沢恒雄さん(63)は2010年に発足した大阪の山岳会「KoDaC(コダック)」のメンバー。京阪神に住むロッククライミングやトレ ッキングの愛好家が所属し、日本アルプスへの合宿や研修会などで技術を磨いていた。近所の人によると「中沢さんの奥さんは『飛行機は苦手だけど、山は好きで、いくら高いところで も行く』と話していた」という。
亀石安央さん 山下貴久子さん(39)は母親と2人暮らし。10年ほど前から登山に魅せられ「山に登る達成感が好き」「高いところに登ったときの景色がいい」と山の魅力を語っていて、暇さえ あれば山へ出かけるほどの山好きだった」という。アルバイト先も同市内の山用品販売店。自身で作曲した曲でギターの弾き語りライブをするなど多趣味だったという。
中学時代の
山下貴久子さん
(遺族提供、産経から)八ケ岳連峰は長野、山梨の両県にまたがり、主峰の赤岳(2899メートル)を中心に山々が連なる。阿弥陀岳では2017年2月に早稲田大学の登山パーティーが遭難し、学生1人が 死亡。このほかにも16年3月に雪崩で1人、15年2月に2人が死亡するなど事故が相次いでいる。
◆阿弥陀岳で早大生2人が滑落 1人死亡◆(2017.2.11)
2017年2月10日午前10時半ごろ、長野県の八ケ岳連峰阿弥陀岳の南稜付近で「仲間2人が50メートルほど滑落、頭から出血している」と登山パーティーのリーダーから110番通報があった。天候が悪くヘリが飛ばせないため県警山岳遭難救助隊員らが徒歩で救助に向かい、翌11日午前7時35分ごろ、滑落現場近くの標高2600メートル付近で野営していた4人を 発見、ヘリで救助した。
救助された早大山岳アルコウ会のメンバー
=11日午前11時35分、長野県茅野市の臨時ヘリポート滑落した基幹理工学部1年の栄隆行さん(20)=東京都練馬区石神井台=の死亡が搬送後に確認された。同時に滑落した相模原市の学生(20)は頭に軽いけが。リーダーの東京都新宿 区の学生(20)も右手に軽い凍傷を負った。県警が滑落原因と栄さんの死因を調べている。
栄さんは頭を強く打って意識不明で、発見時は心肺停止状態だった。大学によると、栄さんは入学後、本格的に登山を始め、冬山登山は3回目だった。付近は雪深く、滑落時は雪が降っていた。
4人は同大公認サークル「山岳アルコウ会」に所属し、2泊3日の日程で入山、9日に「舟山十字路」という登山口から入山、11日まで阿弥陀岳、赤岳(2899メートル)、蓼科山 (2530メートル)を縦走する予定だった。最初の阿弥陀岳へ向かう途中、南稜にある岩場から滑落したという。
阿弥陀岳マップ 茅野署で会見した山岳アルコウ会副会長の楜沢能生教授は「登山の判断が正しかったか検証したい」と話した。
◆阿弥陀岳で学習院大山岳部員2人が遭難◆(2015.2.11)
長野県原村の八ケ岳連峰阿弥陀(あみだ)岳(2805メートル)で学習院大学山岳部員2人が行方不明になっていた遭難で、長野県警茅野署は2月11日、2人の遺体を収容した。 所持品からは、学習院大学に提出した登山計画書の控えが見つかり、同大4年で山岳部主将の吉田周平さん(22)=東京都杉並区下井草=と、同1年の土山莉里香(りりか)さ ん(19)=千葉県松戸市松戸=と確認された。滑落した可能性があるという。
同署によると、死因は吉田さんが全身を打った多発外傷、土山さんが低体温症。標高2560メートル付近の急斜面で、2人の体をロープでつないだ状態で発見された。現場は 阿弥陀岳の南西の斜面「第二ルンゼ」と呼ばれる付近で、遺体は、岩場の斜面で見つかった。近くに雪崩の跡があり、深さ約1.5メートルの雪に埋まっていたという。警察は、2人がロープで体をつなぎ、尾根を歩 いている途中に雪崩にあった可能性もあるとみて、詳しい状況を調べている。吉田さんはヒマラヤの経験もある日本山岳会の学生部役員。
ヘリで原村に収容される2人の遺体
吉田周平さん 土山莉里香さん 山岳部は2月7日、4泊5日の予定で5人で入山。8日に阿弥陀岳に登ったが、悪天候で下山ルートを誤り、一晩、山で過ごした。5人は9日、下山を始めたが、土山さんが疲労 で遅れ始めたため、男子部員の3人は吉田さんの指示で先に山小屋に向かい、吉田さんは、土山さんに付き添った。その際、吉田さんはロープで体を結んで、土山さんを引っ張って いたが、山小屋には戻らず行方がわからなくなった。2人のビーコン(電波受発信機)が作動しており、1.5メートルの雪に埋まっていたが発見につながった。現場付近には赤い手袋があった。
阿弥陀岳はサイトの亭主がいる海の口自然郷からはちょうど横岳と赤岳の裏側にあたり見えないが、赤岳、中岳、阿弥陀岳の三山がほぼ並んでいるので縦走する登山客で賑わうと ころ。一行が登ったときは南岸低気圧が太平洋側を通過した時で、シベリアからの寒気団が南下したため冷え込んだ上かなりの積雪があった。八ヶ岳山岳ガイド協会の竹内敬一会長は「2 人はホワイトアウト状態で足を踏み外し滑落したのではないか」としている。
◆赤岳で滑落死◆(2013.4.28)
長野・山梨県境の八ケ岳連峰・赤岳(2899メートル)で4月28日午後2時15分ごろ、登山道から約400メートル下の立場(たつば)沢で東京都国分寺市東恋ケ窪、会 社員、嶋田直樹さん(57)が死亡しているのを長野県警のヘリが発見した。登山道から滑落したとみられる。県警茅野署によると、嶋田さんは単独で26日、1泊2日で 赤岳に登る予定で入山。同日夜は山小屋に宿泊し、27日に出発後、行方不明になった。家族の届け出を受けて県警が捜索していた
◆横岳でまた遭難 41歳女性死亡◆(2013.2.25)
2月24日午後5時55分頃、茅野市の八ヶ岳連峰横岳(2829メートル)で、下山中だった神奈川県相模原市緑区、団体職員、大沢清美さん(41)の同行者男性から 県警に「体調不良で女性が動けなくなった」と救助要請があった。茅野署員ら7人が25日朝から捜索した結果、頂上付近の石尊峰(せきそんほう)付近で大沢さんを発 見、県防災ヘリが収容、原村から病院に搬送したが、死亡が確認された。低体温症と思われる。同行していた男性2人も凍傷を負った。
ヘリから搬送される遭難女性 茅野署によると、大沢さんは同じ山岳会メンバーの男性3人と、氷壁を登る「アイスクライミング」のため、日帰りの予定で24日午前に入山。発見場所付近の登山道 で体調不良を訴えたという。4人はテントなど冬山で泊まる装備を持っていなかった。
(2013年2月26日 読売新聞)
◆春の横岳でも滑落死◆(2011.4.30)
2011年4月30日午前10時20分ごろ、長野県の八ケ岳連峰横岳(2829メートル)で、登山中の千葉県船橋市の男性(48)が、尾根から東側の沢筋に約 200メートル滑落したと、同行の千葉県の男性(56)から110番があった。 長野県警佐久署によると、滑落した男性は1日午後、地元の救助隊に救出 され、近くの赤岳天望荘に運ばれたが死亡。同行の男性も右足骨折などの重傷。
春に横岳で遭難者が出るものか、と思いがちだが、上の新聞記事で分かるように死者が出る。春山といっても山頂付近は積雪も深く冬である。この日は私も現 場の横岳直下の山墅にいたのだが、猛烈な風だった。横岳登山口そばに直径4、50センチはあろうかというトウヒの大木があったが、それが地上2メート ルくらいでボキッです。何十年、おそらく100年近く無事に育ったのが、この日の嵐で倒れたわけで、よほどの強風だったか風向きが悪かったのだろう。
記事には書いてないがが、2人はおそらく強風で飛ばされたのではないか。尾根筋での強風の怖さは私も北岳で経験があるが、息ができないほどだ。くぼみに 首をいれて喘いでいたら見知らぬ登山者が「私も入れてください」とそのくぼみに飛び込んできたほど。風下にズズッと持って行かれるような強風だった。
大荒れの2011年4月30日の天気図 この日は赤岳・地蔵尾根はじめ北アルプス蝶ケ岳などで山岳遭難が相次ぎ、10件で死者が6人、負傷者10人に上った。
参考までに4月30日15時の地上天気図を掲出するが、移動性高気圧が日本の東海上に進み、高気圧の背面から湿った南西風が入る気圧配置。大陸から日本に向 かって前線が伸びてきている。強風と大雨のパターンを覚えておいてほしい。
◆赤岳で男女2人死亡 強風による低体温症か◆(2009.12.24)
八ケ岳連峰の主峰・赤岳(2899b)で行方不明となっていた男女2人について、北杜署が地上から派遣した捜索隊は24日、標高約2700bの大天狗付近の岩場で発見した。県防災ヘリコプター「あかふじ」で収容、搬送先の病院で死亡が確認された。
遭難した2遺体をヘリから収容する救助隊 同署によると、死亡したのは、京都府木津川市の奈良地方法務局職員、西村昌浩さん(34)と、大阪府堺市の会社員、日下貴子さん(34)。2人は18日に同県北杜市大泉町の「美し森」から入山し、21日正午までに下山する予定だった。予定を過ぎても下山しないため男性の職場の関係者が長野県警に通報した。登山口の駐車場で2人が乗ってきたとみられるレンタカーが見つかったが、携帯電話は通じなかった。
捜索隊メンバーとして2人を発見した竹内敬一・北杜署山岳救助隊長によると、2人は黄色っぽい服装で、クライミング用のひもを付けたままで見つかった。日下さんはうつぶせ、西村さんは横向きだった。現場周辺は強風で、雪は吹き飛ばされて岩場は岩肌が見えていたという。
竹内隊長は「転落したという印象はなかった。岩壁を横切っていたところ、強風による低体温症で動けなくなったのではないか」と推測する。気象庁によると、18日の八ケ岳付近は強い寒気に覆われていた。この日長野県側から赤岳に登山したという同県富士見町の登山ガイド佐々木剛さん(44)は「山頂目前の標高2800メートル付近で風が強まり、登頂をあきらめて引き返した」ほどだという。
2人が所属する「京都雪稜クラブ」メンバーによると、西村さんは10年以上の登山歴があり、日下さんを含め冬山経験は豊富だった。同クラブの松田謙介代表は「装備や計画書の日程に問題はなく、気候が予想以上に厳しかったのではないか」と話した。今回2人が入山した東側斜面を登るコースは、西側に比べて積雪が多く、途中に山小屋など休憩場所はなく移動距離も長いことから経験が必要だとされる。
竹内山岳救助隊長は「冬の八ケ岳登山は初級から中級レベルに位置付けられる山だが、富士山と同じく独立峰独特の気象で、いったん天候が悪くなると氷点下20度にもなり、寒さと強風で厳しい登山になる」と話している。(2009年12月24日、各紙から)
◆ベテラン登山家3人凍死◆(2006.3.21)
長野県の八ケ岳連峰阿弥陀岳(2805メートル)を下山中だった3人のパーティーが「凍傷などで動けなくなった」と、所属する東京都内の山岳会などを通して19日夜、茅野署に救助要請があった。長野県警の捜索隊が20日、ヘリコプターで捜索したところ、山頂近くの稜線で3人が倒れているのを発見、収容先で3人の死亡を確認した。死因は凍死だった。同署によると、東京都江東区大島1丁目、会社員長倉久敏さん(57)、横浜市神奈川区松見町4丁目、会社員竹内雅雄さん(47)、東京都板橋区板橋1丁目、パート従業員茂木みどりさん(45)で、いずれも「東京アルコウ会」のメンバー。山頂から約100メートル下の稜線で簡易テントが発見され、その周りで3人が倒れていた。
3人は18日朝、同会の代表らと計5人で東京を出発し、二手に分かれて阿弥陀岳に入山。頂上付近で野営し、19日に下山する計画だった。19日午後7時前、すでに下山していた代表のもとに、3人から携帯電話で、凍傷や吹雪のため山頂から約100メートル下の登山道で動けなくなったという連絡があった。その後、3人とは連絡が取れなくなっていた。
同会は1921年に田山花袋や菊池寛らが設立し、現在の会員は約60人。遭難した3人はいずれも登山歴20年以上で、リーダー役の竹内さんはヒマラヤやアルプスの登山経験もある。防寒具やザイルなどの冬山登山の装備、食料は万全だったというが、現場付近は20日朝でも、風速17〜18メートルの突風が吹き荒れ、ヘリによる救出作業は難航した。
長野地方気象台や八ケ岳の赤岳(2899メートル)山頂付近の山小屋では同日未明、最低気温氷点下19度を記録していた。長野県内は19日昼ごろ、発達した低気圧の影響で冬型の気圧配置が強まり、天候が急に悪化した。八ケ岳一帯は風が強く、吹雪だった。多い所では今も約1メートルの雪が積もっているという。(2006年3月21日 各紙から)
◆専修大山岳部員3人を救助◆(2006.2.10)
長野県の八ケ岳連峰阿弥陀岳から下山できずにいた専修大学山岳部の部員3人が2月9日昼過ぎ、ヘリコプターで県警の捜索隊に無事に救助された。3人は6日、日帰 りの予定でふもとの山小屋から阿弥陀岳に登頂。下山途中に悪天候で道に迷って動けなくなり、山頂から数百メートルの谷でビバークしていた。(2006年2月10日 各紙から) ◆アイスクライミングの女性、宙吊り死◆(2006.3.26)
3月25日午前11時半ごろ、八ケ岳連峰・阿弥陀岳の氷壁を登っていた千葉県習志野市秋津、会社員、河口美紀子さん(50)が滑落し、肩に掛けていたロー プが首に絡まり宙吊りになった。一緒にいた男性らが河口さんを下ろし、携帯電話で110番通報、県警ヘリコプターが搬送したが、河口さんは間もなく死亡が確認された。 茅野署によると、川口さんらは4人で入山、阿弥陀岳北西稜にある摩利支天(まりしてん)沢をアイスクライミング中だった。2人ずつ組になり高さ15メートルほどの滝を登はん中、滝 中間で川口さんが足を滑らせ約1メートル転落した。その際、たすき掛けにしていたテープスリングというロープの片方が、氷壁に打ち付けたハーケンに掛かり、もう片方が首に巻きつい たらしい。死因は窒息とみられる。(2006年3月26日 各紙から)
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「24時間予報」は1日3回更新されます。「週間予報」は長野市のものです。冬季は野辺山高原ではかなり相違します。
特に日本海
側が「雪」の時は野辺山では山梨県西部か東京を参考にした方がいいでしょう。
気温は野辺山駅周辺(標高1300b)が基準です。
下記の「高度と気温の関係」を参考に、知りたい地点の気温に修正してください。
目安として八ケ岳高原ロッジ(1500m)で2〜3℃、横岳登山口付近(1750m)で4〜5℃、
赤岳山頂(2899m)で14℃〜16℃ほど、上記の気温より低くなります。
八ヶ岳の現在の降雨(降雪)状況がわかります
国土交通省が各地の現在降雨量を出すようになりました(2003年7月)。その中から、我が山小舎がある野辺山周辺の観測点を掲出しました。 「高度・風速と気温の関係」
上の「八ヶ岳リアルタイム雨量」のボタンをクリックすると野辺山(南牧村板橋)の観測点の、現在の時間ごとの降雨量(降雪量)がグラフとともに出ます。
国交省「川の防災情報」からもレーダー観測による日本全土のリアルタイムの雨域が表示されます。ここからも各地のリアルタイム雨量
がわかります。
この画面から「全国の洪水の危険度」が地図から、市町村から探すことができます。また見出しに従って
クリックすれば、各地の河川の水害リスクライン、ライブカメラ画像、現在のレーダー雨量、各観測所での現在の降水量(積雪量)、全国自治体のハザード
マップなどがリアルタイムで知ることができます。
気象学では気温は高度(標高)と風速の関係で変化します。高度100メートル上がるごとに気温は0.6℃下がります。さらに 風速1メートルごとに体感温度は1℃下がります。下に書いた2006年赤岳山頂近くで遭難したパーティーの場合、計算上マイナス37℃で凍死したことになり ます。
体感温度については2011年2月このサイトに「標高の科学」を書きましたのでその中の「体感温度について」の項を参照してください。2つの式があるが一長一短あり、最近 その長所を反映させた改良型の計算式があること、また気温、湿度、風速を入力すると即座に新しい体感温度をはじき出してくれるサイトも紹介しました。まだ普及していませんが、 いずれこちらが主流になると思いますので、覗いてみてください。 【標高の科学と体感温度計算式について】
長野県では県庁所在地の長野市の気温が県下の標準気温とされがちですが、こうした盆地のところと、野辺山のようなすでに高度1300メートルもあるところをひとつ の予報でくくるのは無理があります。八ケ岳をはさんで東西の天気も変わります。八ケ岳のような場所では、発表される数字から自分である程度の気温の計算をすることが大事です。
「天気予報の20キロメッシュ予報区」について
20キロメッシュによる野辺山の予報区。この 色分けでは黄色部分が「晴れ」ほかは「曇り」。 |
気象庁の天気予報は全国を「20キロ四方」のメッシュ(網目)に区分けして地域差を読み込んだ予報を出しています。我々のいる野辺山一帯のメッシュはどうなっているかというと、正確な図が手元にないので手書きですが、大体右の図のように なっています。このメッシュには甲武信岳という3県が県境を接している名峰があり、さらに、群馬、神奈川も指呼の間ということで天気予報はめまぐるしく変化するところです。
「野辺山」というメッシュがあるわけではなく、野辺山が含まれる20キロ四方の予報区ということです。上で「この地図に含まれる一帯の予報です」と、わが山墅のありかを示した地図を掲出しましたが、これがだいたい20数キロ四方 ですのでほぼメッシュ通りということであり、きっちり予報区を示しているわけではありません。
地図で分かるように登山する人への山岳気象情報、日本有数の高原野菜生産地への冷害、降水、暴風に関する情報ニーズが高いところです。いつまでも「長野中部」で予報を 片付けていていいとは思えません。技術的には「5キロ四方メッシュ」のピンポイント予報も可能な時代です(すでに東京23区など一部で実施中)。関係当局の一考を促したいと思います。それまでこの「私家製版ピンポイント天気予報」を 続けます。私家製版ではありますが、気象庁の予報から外れることは許されてないので、文字通り「公式予報」です。
八ケ岳へ飛来するPM2・5を3日先まで予測
八ケ岳は空気がきれいな場所です。標高が高いこと、周辺に空気を汚す工場群や都市がないためで、野辺山や臼田に日本屈指の天文台が置かれていることでもわかり ます。清里には天体観測を売りにしているペンションもたくさんあり、満天の星を眺める日本で指折りの名所です。
ところが近年、中国から恐怖の「PM2・5」が飛来するようになり様相が変わってきました。有害な微小粒子状物質、PM2・5を含むスモッグのため、北京では向か い側のビルがほとんど見えない状況が連日報道されるようになりました。中国政府は官公庁の公用車の使用を30%減にするなどの対策を打ち出したものの焼け石に水で 日に日に大気汚染は深刻になっています。
「PM2.5」とは2.5μm以下(μmは1/1000mm)の粒子のことで、同じく日本列島に春先飛来する黄砂や花粉よりはるかに小さいため人が吸い込むと肺の奥深くまで入りやすく、 肺がん、呼吸系への影響に加え、循環器系への影響が懸念されている厄介な物質です。
「PM2.5」は、粒子として排出される一次粒子のほか、大気中で化学反応により粒子になる二次粒子があります。人工的な発生源には、工場・自動車などの排ガスや塗料・ 接着剤などからの揮発性のガスがあり、ほかにも土壌、海洋、火山、植物等の自然界を起源とするものもあります。
日本国内では、これまで取り組んできた各種規制などによりPM2.5の年間の平均的な濃度は減少傾向にありましたが、ここにきて中国から大量に飛来し始めました。偏西風 などに乗り、八ヶ岳連峰を越えて東側にも降下しますので海の口自然郷でも安閑とはしていられなくなりました。
(上の画像クリックで時間ごとの「PM2.5」予測アニメーションへ)
このため2013年3月22日から 日本気象協会はホームページで、日本周辺での微小粒子状物質「PM2・5」の分布予測の公開を始めました。地図上にPM2・5の濃度に 応じ、オレンジや白など7色で3時間ごとの予測を3日先まで予報します。オレンジ色になるほど濃度が高く、白色は少ない傾向を表しています。 予測は1日1回、午前 8時ごろに更新されます。
PM2.5の測定値が高いオレンジ色に近い日、自治体が注意喚起等を発表した日などは注意してください。粒子が細かいので普通のマスクでは透過します。PM2・5に対応 するものを求めるとともに外に出るのは極力控えたほうがいいでしょう。九州、東北などブロックごとのシミュレーションがあり、ここでは八ケ岳が含まれる東日本を表示します (図示したものは日本全図)。画像には八ケ岳の地点表示はありませんが、「だれでもわかる伊豆半島から真北に上がり列島中央部の左側地点」と覺えておくといいでしょう。