マドレーヌ効果ーーー匂いと記憶
                                      TASC Monthly   No.252  1996年11月

 昼の弁当についてきた透明なプラスチックの容器に入った生野菜に、小さな袋を切れ目から破り、褐色のドレッシングをかけてレタスを口に運んだときだった。強いスパイスの香と味が口の中に広がり、突然ジュネーブのコルナバン駅前の情景が鮮やかに浮かんできた。

 左手の駅の建物、正面の赤い色のトロリーバスや車の行き交う駅前広場、さらに右手には広場を取り囲む低いビル群、そしてその間から緩やかにレマン湖畔へと下りていく何本かの通りと、その両側に連なる商店街。それはあまりにも鮮明なイメージで、私はあたかも私自身がその心象の中に取り込まれ、その中に実在するかのような不思議な感覚にとらわれ、しばし箸を休めた。

 広場の右手の方にはハーブ類の専門店が一軒あった。薄暗いその店内にはたくさんのハーブ類が陳列され、店の前を通ると、カモミールの香がいつも漂っていた。日本では馴染みの薄い独特の匂いであったから、この店のことは特によく覚えている。ドレッシングのスパイスの香がこのハーブ店の記憶を刺激し、それが15年前に慣れ親しんだコルナバン駅前広場の回想へとつながったのだろう。だがその連想はまったく一瞬に、しかも無意識のうちに起こった。

 私が体験したのは「マドレーヌ効果」といわれているものだ。マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の中の、主人公が紅茶に浸した小さな貝殻形のマドレーヌ菓子を口に含んだとき、突然、失われた少年時代の回想がありありと戻ってるという場面がそのいわれだ。そのマドレーヌの匂いと味は、幼い頃、叔母が日曜ごとに、菩提樹の花を煎じたものに浸して出してくれたマドレーヌの味と匂いにつながるものだったのだ。

 この長編小説の主題は時間、そして記憶。プルーストは、流れて止まぬ時間の中で幾重にも封じ込められた記憶が、このように無意志的に想起される瞬間を、人が時空を超越し、永遠の時間を生きる至福の瞬間であるとする。

 この小説の場合も、私の場合もいずれも記憶の想起にハーブの匂いが関与しているところが興味深い。ハーブ類は精神をリラックスさせる、あるいは緊張させるものとして、ヨーロッパではよく用いられるが、その香は特に脳を刺激する作用が強いのだろう。他の感覚情報はまず理性を司る大脳皮質に送られそこで処理されて記憶されるのに反して、嗅覚情報は、そのような処理を経るこのなく、情動や記憶を司る大脳辺縁系に直接送られるので、匂いが感情と記憶を激しく揺さぶるのだとされている。大脳辺縁系はまた、潜在意識発現の場でもある。人間の創造性とは潜在意識に眠る膨大な想念やイメージを、意識まで引き上げることだとすれば、匂いはそれとも深く関わっている可能性がある。

 一つの匂い分子が嗅覚細胞の上に引き起こした電位変化が、ニューロンのシナプスを介して脳に送られ、心の奥深く埋もれた記憶や想念を呼び覚ますメカニズムが、脳科学の世紀といわれる21世紀には少しずつ解きあかされるであろう。


    2022-04-23  up

   

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