内村鑑三の『後世への最大遺物』を読む
内村鑑三の思潮は21世紀の現在も大きな影響力を持っている。なかでも、上で一部を紹介したが、彼の講演録である『後世への最大遺物』は今なお広く評価されている。この項を書いているのは2026年初頭であるが、今日の日本と世界の危機に対処するには、内村鑑三の著作『後世への最大遺物』と新渡戸稲造の『武士道』を読むべしとの力強い論調に出会った。
2026年1月1日に文芸批評家・新保祐司氏が産経新聞<正論>に寄せた一文「年頭にあたり 義が時代思潮の基調である国へ」を紹介する。
以下の一文にある『後世への最大遺物』の原文(青空文庫)◇ ◇ ◇
今年は令和8年である。7年前の平成31年正月の本欄で私は「改元を機に日本を『義の国』へ」と題した一文を書いた。その年の5月1日に改元されることになっていたからである。
この期待を記してから、だいぶ年月が経(た)ってしまった。しかし、昨年あたりから、ようやく義を重んじる気風が時代思潮の表に現れてきたように感じられる。日本が抱える内憂外患の危機の深刻化に対処するには、義の精神が必要とされるからである。
この「義の国」への歩みを力強く深いものにするためには、「明治の精神」を踏まえることが必要ではないかと思う。というのも「明治の精神」とは、一言をもって言えば義に他ならないからである。日本の危機は、精神の在り方に根源的な問題があり、対症療法的な対策ではとても克服できるようなものではない。令和は、第2の明治にならなければならない。ちなみに平成は、第2の大正ともいうべき時代であった。
今年は、「明治の精神」を象徴する一つである札幌農学校が明治9年に開校してから150年の記念の年にあたる。これは「明治の精神」を振り返るいい機会である。札幌農学校といえば、初代教頭クラーク博士の「少年よ、大志を抱け!」という言葉が有名だが、私は2期生として内村鑑三と新渡戸稲造が学んだことを重視する。この2人の数多い著作のうちで、今日の日本と世界の危機に対処することを考えたとき、前者からは『後世への最大遺物』、後者からは『武士道』というほとんど同じ頃に世に出た著作を挙げたいと思う。
『後世への最大遺物』は、明治27年7月、日清戦争の開戦直前になされた講演で、内村は33歳であった。それから30年後の「改版に附する序」に「多くの人がこの書を読んで志を立てて成功したと聞きます」と書かれている。戦前の昭和12年に岩波文庫に入り、今日にいたるまで読み続けられている。この「明治の精神」を代表する講演が、130年余経っても心に響いていることは、日本人の精神の力はまだ大丈夫だと思わせるものがある。
内村は、人が後世に遺(のこ)すものとして、金、事業、思想を挙げた上で、これらはいずれも遺すに価値のあるものであるが、しかし、何人にも遺すことのできるものではない、またこれらは本当の最大遺物ではないと言う。
しからば、「最大遺物とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う」と語るのである。
「勇ましい高尚なる生涯」とは、義が発現する生涯と言い換えてもいいであろう。この講演の末尾には、「(拍手喝采)」とある。こういう生き方に対して、「拍手喝采」するのが、「明治の精神」に他ならなかった。昨年は、「勇ましい高尚なる生涯」とは対極的な出処進退を我々は随分と見せられた。もうたくさんである。
一方、『武士道』は、日清戦争と日露戦争の間の明治32年に出版された英文著作で、新渡戸は37歳であった。こちらは岩波文庫に矢内原忠雄の訳で入ったのは、昭和13年のことである。
やはり、内村の本と同じく義の時代である戦前の昭和に文庫化されたわけである。この本の中で、武士道の徳目が論じられているが、やはり最初のものは「義」なのである。その後に、「勇・敢為堅忍の精神」「仁・惻隠(そくいん)の心」「礼」「誠」「名誉」「忠義」「克己」などが挙げられている。
最後の章「武士道の将来」の中に、「最も進んだ思想の日本人にてもその皮に?痕(そうこん)を付けて見れば、一人の武士が下から現われる」という印象的な表現が出てくる。原著が刊行された明治32年に言えたこのことは、翻訳が出た昭和13年の日本人についても当てはまったことであろう。
そして、1世紀以上後の我々今日の日本人も、たとえ「最も進んだ思想」、例えばグローバリズムのただ中に浸っているとしても、「その皮に?痕を付けて見れば、一人の武士が下から現われる」はずなのである。そうでなければならないのではないか。久しく忘れられていた「一人の武士」としての意識が、安全保障環境をはじめとする内外の厳しい情勢によって「?痕を付け」られて、日本人の多くに義の精神を伴って覚醒してくる年になるに違いないというのが、私の希望である。
今年は、義を基軸にして世界や人間について考えた上で果敢に実践する日本人本来の姿を取り戻す動きが必ずや出てくる。それが、「義の国」への道である。