60年前の病院での新生児取り違えをめぐり、東京地裁で勝訴した男性が2013年11月27日夜、記者会見で語った概要は次の通り。
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判決顔記者会見して胸の内を語る男性 |
――初めて取り違えを知った時の思いは
私が取り違えられたということで、探偵が私を捜していると。そんなことがあるわけないと思った。病院がそんな間違いを犯すことがありえるのかなと。何かの間違いだろ
うと思いました。
――実際に取り違えが判明した時は
探偵さんと会った時に、(実の)両親が亡くなっていると聞いた。それでもまだ信じられなかった。認めたくないというのが正直あった。取り違えを受け入れることが
できなかったんです。そんなことが世の中にあるのかなと思いましたから。
――「本来の家で育っていたら」という思いは
4人全員が大学を出たと聞いて、うーん、なんだろう、それに比べて私の育った環境はかなり厳しいものだったという思いがありましたね。
――育った家で、自分が家族と「似てない」と感じたことは
小学生の頃に母親から「おまえは誰に似たんだろうね」と不思議そうに言われたことを覚えています。
――実の両親と、育ての親への思いを
実の両親に、この世に生を受けたことでは感謝していますし、何もお返しできなかったなと。育ててくれた親に対しては、できることを精いっぱいやってもらったと思います。兄が2人いるが、かわいがってもらい、感謝しています。
――病院に対しては
やはり悔しさですよね。そして怒り。時間を生まれた日に戻していただきたいと。実の両親に育ててもらいたかったというのが本音です。
――今後の生活は
何も変わらないと思います。
――今後の人生は
三男から「あと20年生きられるから、今までの分を取り戻しましょう」と言われた時はうれしかった。同じ兄弟なのに、初対面という感じが不思議でした。
――実の弟3人とは、今どんな交流を
月に1度くらい飲みに行く感じですね。三男、次男の家に泊まりに行ったこともあります。
――「実の両親に育ててほしかった」と。どういう点でそう思ったのか
父親は誠実な人で、母は負けず嫌いな人だったと聞いた。自分も負けず嫌いで、この性格はどこから来たのかなと疑問があり、ああそうかと思った時です。
――取り違えられた相手の男性とお話は
話したこともないし、会ったこともありません。彼もたぶん被害者ですから、憎いと思うことはありません。
――もし、取り違えがなかったら、今の人生は違っていたという思いはあるか
ありますね。相手は小学校、中学校と家庭教師がついていたと聞きました。僕もそういう状況に置かれていれば、多分きっと大学まで出してもらったろうなという思いがあります。
――取り違えがわかってから、3カ月間涙が出ない日はなかったそうだが
両親の写真をもらって、会ってみたかったなという思いですね。生きて会いたかった。できれば会いたかったという思いです。写真を見ると涙が出ましたね。
――病院に求める対応は
真摯(しんし)に受け止めてもらいたい。控訴しないでほしい。こんなことは二度とあってほしくない。謝罪を求めたが、しないということでした。していただきたい気持ちがあります。