日航123便事故に「自衛隊ミサイル撃墜」説を唱えるトンデモ本を指弾する
事故からまもなく半世紀になる日航のジャンボジェット機墜落事故だが、原因をめぐって、実は自衛隊の試験中のミサイルが誤って撃墜した、という「撃墜説」があとを絶たない。筆者が主宰するこのホームページ「八ケ岳の東から」にも「書店の棚で 告発本を見て 立ち読みしましたが、 どれが真ですか?当時の首相は 墓場まで持って行くと言ったとか? 」と投稿があり、詳細に反論しておいた。(HP「掲示板」=2021年12月)。
「日航123便 墜落の新事実〜目撃証言から真相に迫る」(2017年河出文庫)など4冊もの本を出して、執拗に「事故は自衛隊のミサイルで撃墜された」という説を唱えているのは「青山透子」という人物だ。この本は10万部のベストセラーとなり、本屋大賞ノンフィクション部門で最終選考候補となった。次いで同じ版元で出版した『日航123便墜落 遺物は真相を語る』(2018年)、『日航123便 墜落の波紋:そして法廷へ』(2019年)とともに、3年連続全国学校図書館協議会選定図書に選定されているから、それなりに評価を受けているとは言える。本にある著者略歴によると以下のような人物だ。
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| 青山透子とされる画像(著作から) |
いくらスッチー、いやCA(キャビンアテンダント)が女性憧れの職業とはいえ、東大で博士号まで取得した”才媛”が客室乗務員になるだろうか疑問だが、それはさて置くとして”彼女”の主張はこうだ。海上自衛隊の護衛艦「まつゆき」から発射されたオレンジ色の訓練用ミサイルが、誤って123便の垂直尾翼に衝突したという。根拠として、住民による「赤い物体」の目撃証言や、機内写真に写ったオレンジ色の影、墜落前から自衛隊機が追尾していたとする子供たちの文集などを挙げている。
荒唐無稽としか言いようがないが、これを真に受ける人もまた後を絶たない。そういう人に一読を勧めたい本がある。『日航123便墜落「撃墜説」の真相』(PHP研究所 2026年2月12日初版 1980円)だ。著者は真殿知彦氏。海上自衛隊に約40年も奉職した元最高幹部で、護衛艦の建造プロセス、テスト航海、武器システムの搭載や運用実態について極めて詳細な知見を持つ。
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| 真殿知彦・元海将 |
陰謀論ともいえる「撃墜説」に関して、氏はとことん実証的な反論をしているが、なかでも撃墜説を否定する最も核心的な根拠といえるのは、「機体への衝撃がひとつも記録されていないこと」だ。ミサイルが当たって、垂直尾翼を失うぐらいの衝撃を受けたら、乗員乗客の誰でもそれは感じるし、パイロットたちも大騒ぎするだろうし、機体の運航状況を記録するフライト・データ・レコーダーにも衝撃のデータが残っているはずだ。
生存者たちも「ドーン」という大きな音は聞いたが、機体の揺れはほとんど感じなかったと共通して証言している。たとえば、生存者の一人、客室乗務員の落合由美氏は、「パーン」という音がした直後に、酸素マスクがおりてきた際のことを、こう証言している。
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろとあたりを見回していました」
この点を真殿本では次のように指摘している。
「 自動車事故を例にすれば、真横から車が猛スピードでぶつかってきたのに、ぶつけられた方のドライバーは「揺れを感じなかった」と言っているのに等しい」
ボイスレコーダーにも、パイロットたちが外部からの衝突に言及している様子はまったくない。フライトデータレコーダーを見ても、機首の方位は一定で変化していない。ミサイルが当たったなら、大きな衝撃がないはずがないのに青山本では「「赤い物体」を見たという市民の証言だけを根拠にしている。実際に飛行機に乗っていた人の証言は一切ないのだ。
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| 護衛艦「まつゆき」。墜落した尾翼を 海上で回収しただけであらぬ虚説に。 |
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| 虚構本が「まつゆき」が発射したとするSSM-1。 「まつゆき」には搭載されていなかった。 |
では、何を根拠に自衛隊のミサイルが当たったと言っているのか?
青山透子氏が重要な根拠としている目撃証言をは小林美保子という当時22歳の女性が、事件の30年後に青山氏を訪ねてきて証言したという。その内容をこう紹介している。
「飛行機の左側のお腹の部分、四〜五メートルくらいになるのかなあ。貨物室ドア二枚分ぐらいの長さでしょうか。円筒形で真っ赤。だ円っぽい形でした。濃いオレンジ、赤という色です。夕日を浴びて赤い、という感じでもない。夕日は機体の背を照らしていたので、逆にお腹はうす暗く見えました」
青山透子氏の「撃墜説」によれば、ミサイルは2発撃たれて、1発が尾翼に命中。もう一発が機体のすぐそばを追っていたという。 そのもう一発が、機体のお腹に赤いものとして見えたという。これには大きな疑問がある。
当時の123便の高度は約7500メートルだった。そんな高さから4〜5メートルのものが肉眼で見えるはずがない。この22歳の女性は「低く飛んでいた」と言っているが、もし本当に低空飛行していたなら、当時人口10万人の藤枝市で多くの人が目撃したはずだ。今まで他の目撃証言が現れず、30年後に小林さんなる女性が突然登場して、こんな詳細な観察を語る、というのも、不可思議である。
それに当日は曇りで、日没直前だった。それなのに「夕日は機体の背を照らしていた」というのも理解しがたい。さらに、当時123便は静岡県藤枝市付近を西に向かって飛行し、右旋回をして北に向かおうとしていた。航空機が右に旋回するとき、機体は右側に傾く。すると西にある太陽に対して、機体の背中側ではなく腹部が太陽の方を向くことになる。この女性が言う「お腹はうす暗かった」という状況は、事実とは全く逆の位置関係だということになる。
青山透子本は実際の事故を体験した客室乗務員の証言は無視し、事故から30年も後の、矛盾に満ちた証言をここぞとばかり取り上げている。こういうところからも「撃墜説」の正体が分かる。真殿さんは、こう結論づけている。
「私にとって青山氏の仮説は『陰謀論』と呼ぶにも価せず、デタラメ(出鱈目)という言葉の方がしっくりくるのである」
真殿氏は「撃墜説」へ完膚なきまで反証するだけでなく、今までの「圧力隔壁破壊説」が不審を呼んだ点を明らかにしようと、真の原因推定まで踏み込んでいる。
圧力隔壁」とは、高空を飛ぶ航空機では、外の空気が薄すぎて人間は呼吸できないから、客室内の気圧を一定に保つための仕切り壁が設けられる。それが圧力隔壁。123便では客室最後部の座席の後ろに位置していた。この隔壁が壊れたのが公式の事故原因である。 隔壁が一気に壊れて空気が噴き出したら、猛烈な突風が吹き荒れ、機内はマイナス数十度の極寒になるはずだ。ところが生存者は「突風も寒さも感じなかった」と証言している。これが不審を呼んだ主な理由だ。
真殿さんは、その後の飛行機事故で判明した知見も活用しながら、真因の追求を行った。それによると、事故のプロセスはこうだ。
18時24分35秒、ドーンという音とともに、機体後部が機体から脱落して、それによる巨大な応力で、垂直尾翼が引き剥がされるように落ちた。何もぶつかってもいないのに、機体後部が突然、脱落するなど普通はありえない。123便の機体後部に蓄積されていた金属疲労や小さな亀裂が原因だ。
この箇所は7年前のしりもち事故で修理されていた部分だったが、ボーイング社のずさんな修理と、日本での短時間飛行に伴う多数回の離着陸による負荷が重なって、金属疲労や小さな亀裂が蓄積していた。そこから高速飛行時の空気抵抗で、機体の一部が脱落してしまった。当時はこのような事故の前例がなかったため原因がよく分からなかったが、その後、同様の事故が数件起こり、そのメカニズムが明らかになってきた。
圧力隔壁の修理ミス部分が気圧差によって徐々に開いていき、少しずつ減圧していったと真殿さんは考えている。少しずつの空気漏れなので、乗員は「突風も寒さも感じなかった」という。そして18時25分04秒、圧力隔壁が完全に壊れ、客室内の気圧低下の警報音が高度1万フィート以下になるまで鳴り続けた。 つまり、いきなり爆発的に壊れたのではなく、じわじわと壊れていった。この説なら、「突風も寒さも感じなかった」という証言も、自然に説明できる。
◇ ◇ ◇真殿知彦氏の科学的な反証は以上だが、虚構に虚構を重ねていく青山透子氏の論拠と比べてどちらが正論か分かろうというものだ。トンデモ本を無視するのも一つの見識だろうがこの本の影響か、現在では、墜落現場の御巣鷹の尾根には、「自衛隊が意図的に殺害した乗客・犠牲者」などと書かれた慰霊碑まで置かれているという。許されるものではない。
このHPの主宰者である筆者(宮崎健)は半世紀にわたって新聞記者生活を送ってきた。その取材経験と出版社事情にそれなりの知識を持つ身として、「青山透子」なる人物は週刊誌記者か、フリーライターかのゴーストライターの手になる”作品”ではないかと思っている。
もうひとつ言わせてもらえば、こうしたトンデモ本を、売れるからと言って4冊も出版した河出書房新社と、選ばれれば全国かなりの小中学校が買い入れる全国学校図書館協議会選定図書に選定した、全国学校図書館協議会(全国SLA)の”見識”にあきれるばかりである。