重信房子受刑者、逮捕から20年 日本赤軍元メンバーはいま何を思う(産経新聞 2020年11月6日付)

重信房子逮捕
逮捕され東京駅に到着した重信房子受刑者。
集まった報道陣に手錠をはめられた両手を掲げてみせた
 =平成12年11月(一部画像処理)
 「頑張るからね」。平成12年11月、大阪府警に逮捕され、新幹線で移送中だった女は、ホームで両手にはめられた手錠を高く掲げながら叫んだ。「世界革命」を目指して渡った中東で、数々の国際テロ事件に関与したとされる日本赤軍を結成し、最高幹部を務めた重信房子(しげのぶ・ふさこ)受刑者(75)。そのカリスマ性から多くの支援者を集め、「テロリストの女王」「魔女」とも称されたが、長きにわたる潜伏生活の末に、捜査員らの執念によって逮捕された。がんを患い、現在は東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)に服役中。懲役軽作業を行いながら令和4年の刑期満了を待つ日々だ。逮捕から8日で20年。彼女や関わった人たちは今、何を思うのか。

「今でも革命家のつもりだ」

 武力を行使して、世界を変えたい。そんな考えで、かつて多くの若者たちが中東へ渡った。重信房子受刑者率いる日本赤軍が描いた理想は、結果的に数々の事件を引き起こし、多くの犠牲を生んだ。重信受刑者の逮捕翌年に日本赤軍は解散したが、重信受刑者と行動を共にした元メンバーは反省を口にしつつ、「今も革命家のつもりだ」と語る。

足立正生
かつて日本赤軍のスポークスマンだった
映画監督、足立正生さん=11月5日、東京都内
 「われわれは、(テロに伴う犠牲を)必要悪と呼んでやってきた。できるだけ、それを小さくしようとしてきたつもりです」。日本赤軍のスポークスマンとして、重信受刑者と20年以上行動を共にした映画監督の足立正生(まさお)さん(81)は当時を振り返る。

 重信受刑者と初めて出会ったのは、日本赤軍の前身、赤軍派が結成されて間もない昭和45年ごろ。映画関係者や作家らが集う東京・新宿にある飲み屋で、カンパ(支援金)を募っているのを見かけた。「熱心に組織の窮状を訴えていた。僕はカンパをしなかったけれど、若くてチャーミングで、のんべえたちには魅力的にうつりましたね」

 その後まもなく、足立さんは映画の取材のためパレスチナを訪れた際、重信受刑者と再会。行動を共にするようになり、日本赤軍に合流した。「当時の警察の管理体制に腹を立てていた。権力側のキャンペーンから解放されたかった」。頻繁に中東を訪れ、武装訓練など組織づくりに注力し始めた。

 やがて、日本赤軍は数々の国際テロ事件に関与するテロ集団として捜査当局から警戒されるようになった。足立さんは1997(平成9)年にレバノンで逮捕された。重信受刑者が大阪で逮捕されたのは、それから3年後のことだ。「日本に帰ってきていることすら知らなかった」。刑務所で重信受刑者逮捕の新聞記事を読み、驚いたという。逮捕翌年の平成13年、獄中にいた重信受刑者の発表によって、日本赤軍は解散する。

 「反省点はいっぱいある。もうちょっと緩やかなやり方でもよかった」と総括しつつも、「世の中のあり方を思うように変えたいというのは、あの頃から変わってない。私は今も革命家のつもりでいますよ」と語る足立さん。現在は映画などの手段で、世のあり方を問うているという。


「今もよく思い出します」
大谷弁護士
重信房子受刑者からの手紙の写しを眺める
大谷恭子弁護士=11月5日、東京都内
 

 重信房子受刑者は先月下旬の日付で、現在の心境や処遇への不満などをつづった手紙を代理人の大谷恭子弁護士(70)に送っていた。手紙は縦書きの便箋計7枚。小さな文字がびっしりと埋められていた。

 《もう20年も前!50歳の先生と55歳の私の夜の11月8日のことを今もよく思い出します》

20年前の逮捕をこう振り返った重信受刑者。服役している東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)で7月から、民芸品を作る懲役軽作業を始めたといい、《獄中20年で出所までに2年を切っており、社会参加に向けて好奇心を持って迎えた》と明かした。

 だが、10月からの作業はボール紙の切れ端を指で繰り返しもみ、5ミリ以下にちぎるという内容に。《指先がマヒし、ジンジンと痛みます。夜もジンジンしています》と訴え、センターに苦情を申し立てたという。

医療刑務所
重信が収容されている東日本成人矯正医療センター
  面会室にある透明の板の穴が新型コロナウイルス対策でふさがれたことにも触れ、《(相手の声が)きちんと聞き取れる自信がありません。補聴器をつけても聞き取りにくいです》とし、高齢となった体への不安ものぞかせた。

 大谷弁護士によると、重信受刑者はがんを患って手術を繰り返したこともあり、身体の状態は万全とはいえないが、今もパレスチナの情勢を報じるニュースを精力的に収集しているという。手紙はこんな言葉で締めくくられていた。《身体はゆったり過ごしてください。出所したら思いきり語り合いたい!コロナに気を付けて!》。

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 日本赤軍 赤軍派幹部を経て1971(昭和46)年にレバノンに渡った重信房子受刑者を最高幹部として結成。イスラエル・テルアビブの空港で自動小銃を乱射し、約100人を死傷させるなど各地で事件を繰り返した。重信受刑者はオランダのフランス大使館が武装占拠された74年のハーグ事件に関与した疑いで2000(平成12)年11月8日、大阪府高槻市の路上で大阪府警の捜査員に逮捕された。裁判ではハーグ事件に関して無罪を主張したが、懲役20年の判決が確定。令和4年に刑期満了となる見通し。重信受刑者は逮捕後に解散を表明したが、現在も乱射事件の実行犯とされる岡本公三容疑者(72)ら7人が国際手配されている。