産経新聞に「話の肖像画」という企画がある。一人の人物にじっくり話を聞く10回くらい連載されるロングインタビューだ。2023年1月15日付け記事で石川さゆりが「津軽海峡・冬景色」について以下のようなことを話していた。インタビューは清水満記者で、サイトの亭主の元同僚でよく知っている人物である。
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「津軽海峡・冬景色」を歌った頃(昭和52年)の石川さゆり |
これは三木先生のメロディー先行でできた曲なんです。先生は演歌というのを書こうという気持ちはかけらもない方で、音楽の面白さを教えていただきました。フランスの「シェルブールの雨傘」(ミシェル・ルグラン作曲の「Sc?ne Du Garage」)とか、ああいう系が大好きで、いっぱい聞かせていただきました。
だから「津軽海峡…」のメロディーを聞いたとき、すごいな、流れるような感じで、すてきだなって。三木先生のピアノ伴奏があって、♪ラララッ、ラララッ、ラララ、ラララ、ラッという先生の声があって、最後に「あ〜あ、津軽海峡冬景色ぃ〜」とそこだけ歌詞があったんです。
なぜかというと、「365日 恋もよう」というアルバムは1月から12月まで曲があるのですが、(詞を書いた)阿久悠先生が12月だけは「津軽海峡・冬景色」とタイトルだけしか付けていなかった。その理由を後で聞いたんです。すると、阿久先生はこう話してくれたの。
「津軽海峡・冬景色」出だしの三連符 |
「(七五調の詞なら)ワンコーラスで仙台までが精いっぱいだよね」って。「これ、三連符で走れたから。そういう意味では川端康成だって、『(小説・雪国で)トンネルを抜けたら雪国だった…』と、それくらいの変化しか選べないけど、上野発の夜行列車降りたとき、青森駅…。えっ、青森まで行っちゃうんだよ、これすごいでしょ。ハイッ!」って言ったのを覚えている(笑)。あの三連符があったからこそ、あの詞が書けたとおっしゃっていました。
《詞とメロディーがマッチした名曲だが、何といっても最大の魅力は石川さんのファルセット≠ナある。高いピッチ(音高)に対応するために作りだす声色、発声技術はどうして生まれたのか…》
デビュー3年目(昭和50年)のとき、市川昭介先生(作曲家)と「あなたの私」(詞・千家和也、8枚目のシングル)をやったんです。「ファルセットを使えることで歌の幅が広がるから、使えたらいいよ」って。そのとき、私、ファルセットもビブラート(音をのばすときに声を揺らして響かせるテクニック)もなかったんです。
私はストレート歌いだった。ピアノの伴奏で(声を上げ下げしながら)、♪あ〜あ、あ〜あ…、と半音どりしながらビブラートを作ったのね。生まれながらにして、こぶしを回してビブラートを使って、自然に歌っていた方もいると思うのですが、私はそうじゃなかった。ひとつずつ、ビブラートもファルセットも市川先生から教えていただいて、身に付けたものなんです。
♪別れがあるなら 死ぬ時でしょう(「あなたの私」のサビ部分、見事なファルセットでの生歌#笘I)
こんな感じね。「ファルセットは石川さゆりの武器でしょう」と言っていただいて、それが「津軽海峡…」の、♪あ〜あ…でしたね。「実音からファルセットに変わる。ここがさゆりの特徴だよね」って。人って、できなかったことを自分で見つけてできるようになると、ある種の得意なこと、武器に変わっていくんですね。(聞き手 清水満)